じっとりと汗ばむような熱帯夜だった。

 男たちは仄暗い部屋で車座になって、順々に怪談を語っていた。怖いもの知らずか、さもなくば怖いもの見たさの百物語――そして今しがた、九十九番目の物語が終わったところだ。
 最後の語り手にうるし塗りの丸盆が回ってきた。ほとんど灯心ばかりになった短いろうそくと、十数枚の紙幣とを載せた盆を手前に引き寄せると、語り手はこれから始める物語のために、すうと息を吸い込んだ。

「――――さてさて、さて。百物語も、とうとう締めの百番目。最後の最後の語り部が言い出しっぺの俺たぁなんとも因果な話だが、これも天の神様のお導きってヤツかねえ。さあ、鬼が出るか、蛇が出るか。――いっそ雪女様でも出てきてくだすったら、涼しくなっていいんだがなァ」

 狐目の男はくつくつと笑いながら、ちらりと盆を盗み見た。――カネは、少なく見積もっても十万はある。百物語の後で何らかの怪異なり怪奇現象なりが起これば、この賭け金は、化け物が出る方に賭けた者たちで山分けだ。何事もなく終わったならば、出ない方に賭けた者たちで分け合う。そういう取り決めだ。
 百話目の語り手たるこの男は、化け物の出現を望んだ一人だった。特に、百物語を終えた時に現れるという怪異、青行燈(あおあんどん)の出現に期待していた。黒髪の鬼女なり、大蜘蛛なりが現れでもすれば、賞金は彼らのものだ。賭けた金は、倍になって返って来る。

 狐目の男は、にたにた笑いながら、とっておきの怪談を語り始めた。
 ささやくような声色で、静かに語りは続き、やがて物語は佳境に入った。怪異が、話中の男に、魔の手を伸ばした。
 ――その時だった。生あたたかい風が吹いた。ろうそくの弱弱しいともし火が消え、完全な闇が男たちを呑み込んだ。色めき立つ声にまぎれて、背後から何者かの忍び笑いする声を、狐目の男は聞いた。

「誰だ!?」

 振り返っても闇である。しんとした静寂の中に、緊張した呼吸の音だけが響いていた。研ぎ澄まされた嗅覚が、極上のウイスキーボンボンを気化させたような、妖艶な甘さをとらえた。中空にネオンピンクの輪が現れた。ケミカルな光は、薄ぼんやりと人の顔を照らしていた。

「――――私は妖怪、桃行燈……」

 ねっとりと絡みつくような、艶めいた男の声だった。闇の中で、一つ、また一つと溜息が漏れた。狐目の男も、他の連中と同じように警戒を解き、肩の力を抜いた。

「なんだ、毒蛾の兄ィか。ったく、脅かさねえでくれよ」

 天井灯が何度か明滅した後、畳敷きの集会室があたたかい光に包まれた。電灯の紐を引いた青い丸眼鏡の紳士は、輪状のケミカルライトを首から外して、愉快げに笑った。

「いつ来たんだよ」
「ついさっきさ」

 青眼鏡は手刀を切って、車座の内に入った。棒キャンディをくわえたそばかす顔の青年が、彼の手許を見ながら、呆れと興味と半々の顔で言った。

「そんなん、どこで仕入れてくんの?」
「探せばあるよ。ちなみにこれは、ショーで使った残り。……見るかい?」

 青眼鏡は、環状のケミカルライトを青年に渡した。青年は光る輪を何度かひっくり返して眺めてはみたものの、すぐに興味を失くしてしまい、口中のキャンディに再び熱中した。青眼鏡の男の興味深げな視線に気づくと、彼は「いちご」と呟いて、棒キャンディの入った袋を差し出した。
 青眼鏡は水色のを選んで封を切った。ラムネ味をかみ砕きながら、彼は手でぱたぱたと顔をあおいだ。

「しかし、蒸すねえ。扇風機は出さないのかい?」
「出してたよ。この馬鹿が壊しちまうまではな」

 狐目の男に睨まれると、前髪をピンでまとめたベビーフェイスの若者が、きまり悪げに目を逸らした。

「ちょっと風強くしようと思っただけだい」
「だーからぁ、それが駄目なんだってえ。アーチャーくん、今年入ってから集会所の電化製品いくつオシャカにしたと思ってんの? いい加減、学習しようや」

 頭にタオルを巻いた無精ひげの中年が、瓶ビールを直にあおった。そしてそのぬるさと、気の抜けた味とに、深くため息をついた。

「冷蔵庫まで潰しちゃってさあ。江戸時代でももうちょい快適よ?」
「あれはオレ何もしてないし。もともとポンコツだったし。……なんだよ。ユリィまでそんな目で見て。何か言いたいことがあんならはっきり言えよ」
「君がいじくってもエレクトロニクスにトドメを刺すだけだとあれほど言ったのに……」
「うっせえや! オレだって壊したくって壊したわけじゃねえよ! バァーカ!」

 青眼鏡にそう言い捨てると、童顔の青年は車座の外を向いて、畳にのの字を書き始めた。眼鏡の紳士は肩をすくめ、ふと辺りを見回して――部屋の隅に目をとめた。緋色の座布団で築かれた砦の陰から、中身の入ったスラックスと靴下がはみ出ている。

「ありゃ誰だい?」
「ルガートだよ。途中まで生きてたんだけどな」

 狐目が答えた。眼鏡の紳士は腰を上げて、スラックスのふくらはぎの辺りをつつきに行った。が、反応はない。

「……もしかして、熱中症じゃないかね」
「餌はやってるぜ」

 ブラックスーツを着崩したサングラスの男が、座布団の山のかげ――倒れている男の頭のあろう辺り――にトマト印のパックジュースを放ってほどなく、内容物をすする音が聞こえてきた。
 かすかな金属音を立ててジッポの蓋が開いた。火のついた煙草をくわえると、黒服はため息とともに紫煙を吐いた。

「で? どうすんだ、ルナール」
「あん?」
「あんじゃねえよ。お前の話の途中だったろうが」
「ああ……」

 狐目の男は後ろでひっつめた金髪を撫で、火の消えたろうそくに視線を落とした。――流れはすっかり変わってしまっている。興はとうに冷めきっている。もはや怪談話などできる空気ではなかったし、狐目の男にしても、改めて喋る気分でもなかった。

「話さねえんなら、これで(しま)いだな。バケモノなんざァ出なかったってことで」

 紙幣の載った盆を黒服が引き寄せると、狐目の男は、あわててそのふちを掴んで止めた。

「おい、待てよ! まだそれがそっちのもんになると決まったわけじゃねえだろ!?」
「決まっただろ。百物語が終わって何も出なけりゃあ、こっちの勝ち。そういう約束だろうが」
「いやいやいや。百物語が、済・ん・で、青行燈様も何も、お出ましに、ならなかったら、だぜ。百話目の俺の話が終わってねえ以上、お前らの勝ちも決まってねえ。そうだよなアーチャー!?」

 しつこく呼ばれるので、畳にのの字を書いていた童顔は、渋々振り返った。熱心に同意を求めてくる狐目の男に向かってため息をつくと、彼は再び目を伏せた。

「もう駄目だよ。九十九で来なかったら百でも来ねえよ。オレらの負けだよ」
「負けじゃねえよ! こーれーかーらーだー!」
「往生際の悪い奴だな」

 舌打ちの後、金属の擦れる音。こげた灯心に、再び淡い炎がともった。ライターを胸ポケットにしまうと、黒服は顎でしゃくって、狐目に続きを促した。
 ゆらめく炎を前に男は祈った。狐狗狸(こっくり)でも魑魅魍魎(ちみもうりょう)でも、いっそ悪霊でも何でもいいからどうか来てくれと願い、佳境の少し前から、話の続きを喋り始めた。興のすっかり醒めた座で、半ば消化試合じみたその物語を、一同は話半分に聞いた。青い丸眼鏡の紳士も他の者と同様に、数分ほどはおとなしく座っていたが、ふと、隣のそばかす男のくわえていたキャンディを奪い取ると、それをろうそくに押し当てた。炎はじゅっと断末魔を上げて、息絶えた。
 狐目の男と飴の持ち主はもの言いたげな目で青眼鏡を睨んだが、彼は飄々として、

「それね。前に稲川淳二がラジオでやっているのを聞いたよ」

 そして青眼鏡は、つらつらと話の続きを述べ、しまいの落ちまでたどり着いてしまった。
 男たちの百物語は、こうして終わった。沈黙が訪れたが、それ以上のことは何も起こらなかった。

 ややあって、黒服が勝ち誇ったように口を歪めた。

「よし。ベルガー、山分けだ」
「待て待て待て待て待て待て待て待て! まだだ! 今、……そう、今! 向かってんだよ! ここに! 青行燈様が!」
「往生際が悪いぞ、ルナぁ。これはもう俺たちの酒代になるって決まったんだよ。ほら、諦めて手ぇ離せ」
「いぃーやぁーだぁー!」

 掴んだ盆ごと引きずられながらも、狐目の男は、なおもごね続けた。そんな彼の姿を、さげすむような目で一瞥すると、紳士は眼鏡を拭き拭き、未だ落ち込んでいるベビーフェイスと、棒キャンディで彼を慰めようとするそばかすの青年に向かって言った。

「そういえば、君らはスイカは好きだったかね。持ってきたんだが、食べられないではもったいない」
「おれは、だいじょーぶ。……アーチャー、スイカあるって。スイカ」
「………………たべる」
「それはよかった。今冷やしているところなんだ。裏の川で」
「やるじゃん、ユリシス。ナイス。……ちなみに聞くけど、飲み物とか、ない? ルガートに頼んだら、全部、トマトジュースでさあ。参ったよ」
「飲み物ねえ。一応ビールは持ってきて、スイカと一緒に冷やしているけど……」
「何ィ!?」

 酒と聞いて、酔漢が目の色を変えた。賞金防衛戦から離脱し、川へ向かって駆け出そうとした男の足を、上手い具合に引っかけて転ばせると、青眼鏡が言った。

「まあ、落ち着きたまえ。さっき放り込んだばかりなんだ。どうせならよく冷えたので乾杯しようじゃないか」
「……そうだね。でも、オジサンの足を引っ掛けて転ばせる必要はあったのかな」
「しかし、ただ待つというのも退屈だね……」

 恨めし気なひげ面の視線を無視して、青眼鏡の紳士はぐるりと部屋を見回した。

「ふむ。口うるさい淑女連中は居らんのだね。…………じゃあ、せっかくだし、こんな趣向はどうだい?」

 彼はにったりと笑って、ケミカルライトをかざした。その色は、どぎついネオンピンク。

「せっかく男同士なんだ。今しかできない話をしよう。……つまり、エロチシズムに富んだ話をね。諸君も男なら、その手のネタのとっておきが一つや二つあるだろう? それを話し合おうじゃないか。空想でも見聞録でも経験談でも、なんでも構わない。夜の肴になるようなものならね。それを一人ずつ順繰りに喋っていって、まあ一巡もする頃には、スイカもビールも冷えてるだろう。……どうかね?」
「ユリィ……あんたも好きねえ」
「おや? アーチャー君はこの手の話はお嫌いかい?」
「だーい好きですともぉ!」

 笑顔を取り戻したベビーフェイスが、身を乗り出した。無精ひげの中年と、キャンディをくわえたそばかす顔の青年も、興味津々らしく、密談の態勢に加わった。
 狐目とにらみ合って、盆の奪い合いを未だ続ける黒服に、青い眼鏡の男は顔を向けた。

「ウィーゼル君もどうかね?」
「混ざらねえでもねえが、この野郎がな……」
「ああ!? そっちだろ!? 何べん言やわかんだ! 青行燈様は、遠ーいところからお越しンなるから、すぐすぐは来れねえんだよ! つい今しがた家出て、今、こっちに向かってんだ! まあ見てろ、じきに着くから! だから、勝負は、ほ・りゅ・う! 保留だ! オーケー?」
「馬鹿言ってんじゃねえよ。大体てめえ、魂千里を往くって知らねえのか? 幽霊がのこのこ歩いて来るってのか? ああ?」
「今日びタクシーぐらいは使わぁ!」

 言い争いをじいっと見ていたそばかす顔の青年が、ぽつりと呟いた。

「そういや幽霊って、えろい話、苦手って言うよね。……どうでもいいけど」

 狐目の男がやかましく喚く中、その呟きを拾った黒服は、ぴたりと動きを止めた。

「おい、ルナール。お前の言う通り、少しだけ待ってやってもいいぜ」
「お、おう。そりゃ、ありがてえが……どうした急に」
「別に? まあ、強いて言うなら、ほんの気まぐれだ」

 無精ひげの中年の隣に腰を下ろすと、黒服の男は、煙草を取り出して火をつけた。

「ただし、こっちの話が終わるまでだ。それが済んで何も出なかったら、てめえ本当に観念しろよ」
「おうよ。なんなら財布ごとお前さんにやらぁ」
「言ったな? 吐いたツバ飲むんじゃねえぞ」

 狐目の男も、丸盆を片手に、いそいそと車座の内に入った。

 ――――かくして、男だらけの夜話会が始まった。

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