※本作品にはR-18程度の性的表現が含まれます。18歳未満の方は閲覧をお控えください。


 ややしびれたらしい足をのばして一息つくと、男はひとつ、咳払いをした。

「すぐそこの高架に、滋賀方面行く鉄道通ってるだろ? ええと……そう。百鉄(ももてつ)の京滋線だっけか。あの路線ってな、多いらしいぜ。…………痴漢。

 この辺から大津まで行こうと思ったら、結構距離あるじゃん? 俺はあんまり詳しくないんだけど、電車で行くとしたら、鞍馬の方から都回っていくのと、あとは蓬莱山回って国鉄で琵琶湖沿いに下って行くのと、大体二通りあるんだって? 早いのは京都経由らしいんだけど、いかんせん朝は混むからってんで、蓬莱から湖沿いに下って大津行く人も、そこそこいるらしい。ただ百鉄の急行って、花水橋(はなみずはし)出ると蓬莱までノンストップだから、乗っちゃったらしばらくは降りられない。だから陣形を整えて獲物を取り囲んだら、あとはもう、やりたい放題なんだって。いやだねえ。

 で、その電車痴漢なんだけどな。ミョーなことに、被害者が、みんな若い男なんだって。大抵は十代、いっても二十代前半とか、そのくらい。で、男に痴漢されたなんて恥ずかしいからって、警察に言わないらしい。職場にバレたくないとか、就活に差し支えるとか、まあ、いろいろ事情があるんだろうな。警察――まあ、ぶっちゃけ、この話を聞いた奴なんだけど――警察も、被害者が起訴しないことには、捜査ができない。裁判になった時、被害者は法廷でことのあらましを話さなきゃいけないから。そういう覚悟が出来てるなら全力で捜査するけど、そうでないなら、被害者のプライバシーに配慮して、事は公にしない、みたいな、そういう話らしい。

 そんで、その警察……えーと、まあ、I君ね。I君、通勤にその路線使ってて、被害者の放り出されたところに、ちょうど居合わせたんだって。服もビリビリ、全身男の体液だらけで、見るも無残な姿だった。どうにか犯人取っ捕まえてやりたかったけど、もう犯人連中はあらかた引き上げた後みたいで。しかも電車痴漢って、管轄は鉄道警察で……I君はマル暴だったから、管轄外でさ。肝心の被害者も、告訴するつもりがなかったから、どうすることもできなかったんだって。それで、結局は泣き寝入り。
 それがI君、悔しかったみたいでさ。もうこうなったら現行犯で取っ捕まえてやるって、息まいたんだ。ただそうなると電車に乗らなきゃいけないんだけど、I君も平日は仕事で忙しい。そこでわざわざ休日に体を張って、おとり捜査をすることにしたそうだ。

 それで、俺のところに相談に来たんだ。『野郎目当ての痴漢をおびき寄せたいんだけど、どういう恰好すればいいんだ?』って。……時々オカマバーに遊びに行ってるってだけで、別にゲイとかじゃないし、そういう面であんまり頼りにされても困るんだけど。ただママの方がノリノリで、勝負服いろいろ持ってきて、着せ替え人形にされてた。I君って色黒で筋肉質で、そのうえ人懐こいから、ゲイ受けがすごくてさ。お客さんにもきゃーきゃー言われて、揉みくちゃにされてた。ただ俺はやっぱりお姉ちゃんの方が好きだね。
 それで次の日……土曜日だったかな。例の魔の区間に乗ったんだ。花水橋から蓬莱までの、大体二十分くらいの電車に、俺も無理やり乗せられた。それで二人して丸一日電車に揺られてたけど、結局その日は、なーんにもなかった。その次の日も空振り。改札出たらI君に『お前の顔が怖すぎて獲物が来ねえんだよ。整形しろよ』とかなんとか言われて蹴られた。俺日曜日は夜勤入ってて、睡眠時間返上で一日付き合ったのに、理不尽だと思わない? だけどオジサン優しいから『次は今度の休みにな』って、穏便にI君と別れたんだ。

 それで、ここからが後で聞いた話で、まあ、本題なんだけど。

 その翌朝、I君はため息つきながらも通勤電車に乗った。またこの一週間、被害者が出るであろうことを考えると、月曜日だってことを差っ引いても気が滅入った。
 I君はラッシュを嫌って、いつも早めの電車に乗ってた。その日も電車は空いていて、始発でなくても全然座れた。
 電車に揺られて、十分くらい経った頃かな。とある駅で一気に、どかどかどかって人がなだれ込んできた。スーツ姿の企業戦士だった。
 『珍しいなー。研修か何かかな?』なんて呑気なことを考えたI君の両隣にも、軽く会釈して、サラリーマンが座った。席も通路も、あっという間に人で埋め尽くされた。目の前であんまり窮屈そうにひしめき合ってるんで、I君もちょっとは気を遣って、鞄を抱えて縮こまってた。

 その数分後だ。両サイドの挙動が、どうも怪しい。お隣さんの手が尻に当たってる――というか、どうも、揉まれてるらしい。両隣へちらっと目を向けてみるけど、素知らぬ顔。でも、奴らの手は明らかにI君の尻を揉みしだいてて、片方の手なんかは、割れ目の間に潜り込もうとしている。
 その時、I君は気付いたんだ。これってもしかして、例の電車痴漢なんじゃないかって。

 I君は、しめたと思った。『オレに手を出したのが運の尽き。まとめて現逮(ゲンタイ)だ!』って、内心ガッツポーズ。土曜日曜と肩透かしを食らったせいもあって、I君の意気はみなぎってた。

 内入(うちいり)駅が近づいてきた。I君の降りる駅だ。今まさに、尻をまさぐってる両隣の男。痴漢現行犯の手を、ひっつかんで下りる。それで勝ちだ。ただ困ったことに、I君に手は二つしかない。両サイドの犯人を捕まえたら、大事な警察手帳の入った鞄を持てなくなっちまう。出勤途中で手錠もないし、どうしようかなと思ったら、たまたま目の前に立ってた、真面目そうな背の高い兄ちゃんと目が合った。
 I君、悩んだけど、ここで伝家の宝刀を抜くことにした。鞄からいそいそと警察手帳を出して、目の前の男に協力を頼んだんだ。両隣の奴が痴漢してて、次の駅で降りるから、一人捕まえててくれないか、って。男は頷いた。善良な市民らしく、爽やかに微笑んで、快く協力を約束した。
 I君はほっとして、駅が電車に着くのを待った。もちろん、現行犯の手首をしっかり捕まえたままでね。

 電車がゆっくりと減速し、やがて停まった。I君は意気揚々と、犯人を連行しようとした。でも、出来なかった。I君の足の間に、目の前の背の高い兄ちゃんの足が挟まってたから。そのせいでI君は、座席から立つに立てない。押しのけようにも、痴漢の腕と鞄とで両手が塞がってるせいで、上手くいかない。痺れを切らしてI君は彼を怒鳴りつけたけど、背の高い兄ちゃんは、意味深に微笑むだけで全く動こうとしない。
 もたもたしてるうちに扉が閉まって、電車は駅から離れてしまった。

 I君は背の高い兄ちゃんを睨みつけた。彼は形ばかりの謝罪をして、ネクタイを解いた。そして丸めたそれを、おもむろにI君の口にねじ込んだ。それから両サイドの男たちが、I君の両手をタイで縛って、座席の手すりにしっかりくくり付けてしまった。
 I君は助けを求めて、車内を見回した。相変わらずの人垣だったけど、I君の見た限りでは、乗客の目は、みんなI君の方を向いてた。でも、誰一人として彼を助けようとしない。どころか、そのうちの何人かは、スマホのカメラをI君の方に向けてた。その時I君、気付いちゃったんだ。――これ、もしかして、全員グルなんじゃないか、って。

 次は花水橋。そしてそこを出た後、向かうは蓬莱。――――二十分あまりも止まらない、例の、魔の区間だ。花水橋を発車する前に、I君は何がなんでも逃げなきゃいけなかった。
 でもタイは相当強く結ばれてるみたいで、どんなにもがいてもほどけない。大声で助けを求めようにも、猿轡をされてるから『むーむー!』としか言えない。もう一車両まるごと敵みたいな状態で、多勢に無勢。I君は男たちに押さえ込まれて、花水橋に着くまでの二分間、何もできなかった。
 そして電車は、無情にも発車した。

 この時を待ちわびていたかのように、男たちの手が一斉に襲い掛かった。I君の服――スーツでピシッと決めてたんだけど――のボタンがはじけ飛んで、胸板がさらけ出された。犯人はI君の右の尻を弄んでたサラリーマンだった。男は股間にテントを張って、熱っぽく息を吐きながら、I君の胸をまさぐった。
 そうしてるうちにズボンも下ろされちまって、左の尻を撫でまわしてたサラリーマン――こいつは図々しく尻の割れ目に手を突っ込んできた奴だ――が、I君のイチモツを握った。

 修羅場は何度もくぐってきた。この手のことはさすがに経験なかったけど、命のやり取りは幾度となくしてきたI君だから、肝は据わってた。悪さをする連中を真正面から見据えて、思いっきりガン飛ばしてやった。でもI君にロクな抵抗ができないってことがわかってるからか、痴漢どもはにたにたするばかり。
 そしてI君の尻の辺りに、なんだか熱くてぬるっとしたものが触れた。驚いて後ろを見ると、男の顔が尻の間に挟まってた。野郎はI君の尻や太ももだけじゃ飽き足らず、穴の中まで舐め始めた。

 ただただ不快だった。これから奴らがするであろうことも、考えるだけで怖気が走った。でも、野郎の手や舌は、男のいいところを熟知したかのような巧みな動きでI君を攻めるもんだから、I君のも次第に反応してきてしまった。

 屈辱だったけど、でもそれ以上にI君が気にしてたのは、警察手帳のことだ。今まさに鞄の中に入ってて、さっき真面目そうな兄ちゃんに見せたやつ。ただその兄ちゃんが犯人連中の一味だとすると、非常にまずい。なぜって、警察手帳が奴らの手に渡りでもしたら、何に悪用されることやらわからない。国家権力を振りかざして、いたいけな市民を一体どれだけ毒牙に掛けることやら。

 『頼むから、鞄にだけはさわんなよ』 そんなI君の祈りも空しく、とある男がI君の鞄をあさり始めた。例の真面目そうな、背の高い男だ。彼は二つ折りの手帳を開いて、中を確かめた。それからI君の名前を呼んだり、まじまじ顔を眺めたりした。I君の反応を見て楽しんでいるかのようだった。
 I君の股間を見て、『お巡りさん、意外とスキモノなんですね』なんて言葉を投げかけると、男は自分のポケットに手帳をしまった。I君は『何してんだ!』って叫びたかったけど、猿轡をされてるから『むーむー!』としか言えない。そうしてるうち、I君の尻に、熱くて固いものが触れた。言うまでもなく、男のそそり立ったアレだ。
 猿轡が外された。息を整えようと開いた口の中にも、男のそれがねじ込まれた。そして終着駅に着くまでの――あるいは、飢えた男たちが欲望を満たすまでの間。永遠に思えるほどの数十分間、I君は、穴という穴に体液を注ぎこまれた、っていう。そういう、お話」



「それをな? オジサンは延々聞かされたんだよ。夜勤明けで寝てたところ、I君に呼び出されてな。酒瓶抱いて泣きじゃくりながら、『あいつら絶対ムショにぶち込んでやる』っていつまでもクダ巻いてるから『警察行けば?』って言ったんだけど、『そんなことになったら手帳盗られたのバレちゃうだろ!?』って逆切れして、また飲んだくれるんだよ。結局朝になるまで帰してくれなくてさ。ほんっと、参ったよ。

 …………まあ、とにかく俺が言いたいのは、『痴漢は絶対やめようね!』ってこと。以上!」

 そう言ってひげ面の男は、バトン代わりの輪灯を次へ回そうと、左隣を見やった。隣は、ブラックスーツにサングラスの男である。ひげ面の男は、「あちゃー」と額を押さえた。

「聞かなかったことにしてくんない?」
「それは出来ねえ相談だな」

 短くなったのを灰皿で押し消すと、黒服の男は新しい一本に火をつけた。男はぷかぷか煙を呑みながら、しばらく沈黙して、何やら考え込んでいるようだったが、青眼鏡に「君の番だよ」と指摘されると、面倒くさそうに返事をした。ひげ面の差し出した輪灯には、ちらりと目を向けたが、彼は失笑を返しただけで、わざわざ受け取ろうとはしなかった。


【NEXT】