畳敷きの部屋は、行き交う人で一時雑然となった。

 ――ごたごたしている今が好機。狐目の男はさっと周囲をうかがい見ると、盆上の紙幣を素早くかすめ取って、懐へしまった。そして彼は何食わぬ顔で和室を後にしたのであるが、悪いことはできないもので、彼の悪行を目ざとく捉えていた者があった。

 狐目の男が鼻唄まじりに靴を履き、いざ遊興に出かけんと、集会所の裏口を出た矢先だった。背後から黒い塊が疾風のごとくに迫り、狐目の男を地べたへ突き倒した。

 狐目の背中を踏みつけながら、男が言った。

「ルナール。手前、どこ行く気だ?」
「いやあ、ちっと外の空気を吸いに……」

 黒服の男はふんと鼻を鳴らすと、足でもって狐目の男の体をひっくり返した。そしておもむろに、狐目の胸倉へ手を突っ込んで、服の中をまさぐりだした。彼のくすぐったがるのも一向構わず内を探ること数十秒。懐から押収した紙幣をぴらぴらさせながら黒服は言った。

「上前持ってか?」
「いやあ、それは俺っちの虎の子でー……」
「じたばたすんじゃねえよ。俺は見てんだ。手前がこいつを懐にしまうとこをな」
「あーあー、わぁったよ。賭けは俺の負け! それでいいんだろ!」

 しぶとい狐目の男もさすがに諦めて、残りの紙幣を黒服の男にたたきつけるようにして渡した。黒服はそつなくその枚数を数えて確かめた。数はきちんと足りていた。が、すっかりふてた様子で歩き去ろうとする狐目の男を、彼は呼び止めた。

「待てよ、ルナール。まだこっちの用事は済んでねえ」
「ああ? 済んだろ。金はそれで全部のはずだぜ」
「いいや。お前、話が終わっても何もなかったら、財布ごと置いてくとかなんとか抜かしてたじゃねえか」
「さあ。言ったっけなあ、そんなこと。お前さんの記憶違いじゃねえか?」
「いいや、確かに言った。……そういうわけだ、ルナール」

 黒服の男は手を差し出して、ブツをよこすよう促した。

「生憎だけど、持ち合わせがねえもんで……」
「だったら身ぐるみ置いていきな」
「あらやだお兄さんたら、そんなご無体な」

 狐目の男が笑いながらのらりくらりとかわすのにしびれを切らし、黒服の男は、彼の肩をがっしとつかんだ。

「体で払ってもらっても、こっちは一向に構わねえんだぜ?」

 サングラスの奥で、鋭い目がギラリと光った。()ると言ったら()る男の目だった。狐目の男の首筋から、たらりと冷や汗が垂れた。


   *


 一方その頃川辺では、酒乱が狂喜乱舞していた。集会所の裏手をさらさらと流れる小川では、業務用のビールが樽ごと冷やされていたのだ。

「随分重くてね。運ぶのに少々骨が折れたよ」
「サーバーは? サーバーはどこです、先生?」
「後部座席に積んであるよ。なんなら君、ちょっと運んでおいてくれたまえ。先に一杯やっていてくれても構わないから」

 ビヤ樽を担いだひげ面の男に、青眼鏡は車のキーを放った。

「じゃあ、お言葉に甘えて、お先にやらせていただきますんで……」
「どうぞどうぞ」

 にやけ顔の男を見送った後、青眼鏡は川へ目を戻した。夏虫のささやく夜の小川では、そばかす顔の男が素足を浸して、一足先に涼を得ていた。

「外の方がすずしいな」
「そうだね。どうしてあそこは、ああも熱がこもるんだろうね」
「んー。コンクリだしな。……それに夕方、アーチャーが冷蔵庫とか扇風機とかさわって爆発させたし。その熱がまだぬけてないんじゃん? 窓とかぜんぶしめきって、仕切り板うちつけちゃってたし。たいへんだったんだぜ、いろいろと」

 草むらで虫を追うベビーフェイスの様子をうかがいながら、彼はそう青眼鏡に耳打ちした。青眼鏡は気のない相槌を打つと、草の生い茂った川べりを懐中電灯で照らしていった。程なくして、少し川を下ったあたり、杭にひっかけた網の中で、スイカが無事に冷えているのを発見した。

 青眼鏡が網からスイカを引き上げた時だった。草むらの方から、何者かが彼の背をどんと押した。「うわっ」と声を上げ、崩れた体勢を立て直そうとしたが、努力むなしく、彼は川の中へと転げ落ちた。

 ワードローブの中でも上物の街着が台無しだった。とりわけ下半身は甚大な被害だった。濡れねずみにされてしまった青眼鏡は、犯人をにらんだ。ベビーフェイスの青年が、してやったりと笑みを浮かべていた。

「ちょっと持っていてくれたまえ」

 流されかけていたスイカを拾い上げてそばかす顔の青年に託すと、青眼鏡は笑顔でベビーフェイスの青年を手招きした。そして、彼がのこのこやってきたのを幸い、首根っこをひっ捕まえて、水の中へ叩き込んだ。

 激しい水しぶきが上がった。

「なにすんだよ!」
「それはこっちのセリフだよ」

 水面から顔を出した青年に追い打ちをかけるかのように、青眼鏡は水面を蹴った。顔いっぱいにしぶきを浴びせかけられて、ベビーフェイスの青年も黙ってはいない。彼も負けじと水をかけ返した。さあこうなると二人とも止まらない。水かけごっこはどんどんエスカレートしていく。

 唯一止められそうなそばかす顔の青年がスイカを片手に高みの見物を決め込んだので、水のかけあいは二人が飽きるまで続いた。

 ようよう岸辺へ帰還した青眼鏡の男は、髪の水気を切りながら、しみじみ呟いた。

「やあ、遊んだ遊んだ……。君とこうしてはしゃぐのも、何年振りかなあ」
「百年くらいじゃねえ?」
「ああ……もう、そんなになるかね。時の経つのは早いものだね」

 水浸しになったシャツを絞りながら、青眼鏡の男はふと思い出したように呟いた。

「時に、『供物』は決まったのかい」
「いや、その話まだ全然なんだよ。つーか今の今まで完全に忘れてたわ」

 ベビーフェイスの青年がそう言うと、青眼鏡は呆れたようにため息をついた。

「君たちは午後から集まっていたんだろう? 一体何をしていたんだね」
「集会所のかたづけと……夕すずみ?」

 そばかす顔の男が、パシンと腕をはたいて、答えた。ベビーフェイスの青年も「あっ、オレも食われた。かゆっ」と濡れた手で首をかきながら、「そもそも、本来の集合時間って丑三つ時だろ? オレたちは準備で早めに集まっただけで、大半の連中はこれからぼちぼち来る感じだよな。だったらみんな来てからの方がよくね?」
「うん。まあ、それはそうだが。しかし方針だけでもざっくりと話しておいた方が、後がスムーズじゃないか」
「それはわかってるけどさあ。でもそもそものことを言えばさあ、今回はディノスが奉納するって話だったじゃん。だからオレ、そっちは全然ノーマークだったわけ。でもなんか、逃げられた? みたいで。それでこっちにも流れ弾……もとい白羽の矢が立ったけど。でも正直、そんな急に言われても知らねえよ、っつーか。なんでせっかくのきれいどころ、ババアに譲らなきゃならねえんだ、っつーか」
「アーチャー君。軽率な言動は慎みたまえ。遠く離れた場所を見聞することができる者も、我々の中にはいるのだよ」

 青眼鏡にたしなめられて、ベビーフェイスの青年は、「はいはい」と肩をすくめた。

「第一、ユリィこそ目星ついてねえの? 性癖はともかく、審美眼は確かだろ? あっちこっち飛び回って目は肥えてるし、手も早い方じゃん。一人くらいいねえの?」
「……確かに私は面食いだが、そのことと、美男美女に巡り合えるかどうかは別問題だよ、アーチャー君」

 青眼鏡の男は、川辺の石に腰かけた。そして彼は川面に映る月を見つめながら言った。

「かの方に捧げられるような百年に一度、いやさ、千年に一度の上玉なんて、そうそうお目にかかれるものじゃないよ。――実際、私は、まったく、これっぽっちも、知らないんだ。一体どこにおわすやら」


   *


 ひと仕事終えたひげ面の男が、ジョッキ片手に畳敷きの和室へ戻ってくると、八重歯の男が壁際で倒立していた。

「……何してるんだ?」
「ちょっと、探偵していたのです」

 男は逆立ちをやめて、ひげ面の男に向き直った。

「ベルガーさん。薪ってどこにありましたっけ?」
「薪? 外にまだちょっと残ってたと思うけど。……なんでまた?」
「火をおこしておこうと思いまして。ユリシスさんたちが風邪をひいてはいけませんからね」

 首を傾げたひげ面に微笑むと、八重歯の男は、ひょいとトマトジュースのパックを拾い上げた。彼はその中身をずるずるすすりながら、集会所の外へ出て行こうとした――が、裏口の戸に手をかけた時、こちらは取り込み中だったことを思い出し、くるりと踵を返した。

 正面玄関へ向かう途中、ふと時計が目に入った。時刻は二十二時四十分。草木も眠る丑三つ時まで、まだ今少し時間がある。

 青年が外へ出ると、背の高い草むらの間に、白い何かが、ぼうっと立っているのが見えた。白い着物をまとった長い黒髪の女だった。女は蝋燭を灯した鉄輪を携えていた。青年は女に近寄って、声をかけた。

「丑の刻参りにはちょっと早いんじゃありませんか?」
「ちゃうねん。呼ばれたから来てんけど、途中道に迷ってもーてな。しゃーないからタクシーで来てん。でも真っ暗やんか。そやから運ちゃんに墓参り用の蝋燭もろてな。これで道照らして歩いててんけど、手で持っとったらあつーてしゃーないから、そこらへんに落ちてたガラクタで、ええ感じにこう、な。なかなかええやろ?」

 青年は鉄輪をまじまじ眺めた。だが見れば見るほど丑の刻参りだった。目の前の白装束の女が、蝋燭をさした鉄輪を頭にかぶり、般若面でもつけて闇の中にたたずんでいた日には、子供どころか大人でさえ泣いて逃げ出すだろう。
 男がそんなことを考えていたところへ、すっかり身ぐるみをはがされた狐目が、がっくり肩を落としてのろのろ歩いてきた。彼はすっかりしょぼくれた顔をしていたが、白装束の女を見ると、途端に元気を取り戻した。彼は白装束の女を指さしながら、後をついてくる黒服へ向かって叫んだ。

「おい、ウィーゼル服返せ! やっぱり賭けは俺の勝ちだぜ」
「ああ? どういうこった?」
「見ろよ。妖怪青行燈」
「誰が妖怪や!」

 女は般若のごとくに顔をゆがめて、狐目の男に燃える鉄輪を投げつけた。夜の山にこだまする男の絶叫を聞き流しながら、八重歯の男は呟いた。

「今日も平和だなあ」


[END]