「限りなくクロに近いブルー(Ⅰ-2)」

◆4

「確かに、青い服を着ていたのですね?」

 ルイスは大きくうなずいた。警備センターの応接間にてルイスを丁重に迎え、責任者と名乗った上級職員、アイリーンは、顎をしゃくって部下に何やら合図した。ルイスの目の前に、タブレット端末が差し出された。画面をのぞき込むと、顔写真がずらり。

「保健局職員のリストです。青い制服の着用を義務付けられた者たちです。ご確認願います」

 何百、何千の顔を眺め続けて、疲れてきた頃にルイスは見つけた。生真面目な緊張顔の並ぶ中、ただ一人、あかんべえをした、あの男の顔を。その男こそ、先ほどルイスを襲った無礼千万なあの男に違いなかった。血色と肉付きは少しばかり写真の方がよかったが、同一人物であることには間違いない。

「こいつ! こいつだよ! ボクの首噛んだやつ!」

 叫んだルイスの指の先を確かめると、アイリーンは、部下ともども、嘆かわしげに頭を抱えた。

「よりにもよって、ヨルシェですか……」
「知ってるの?」
「警備局で知らない者はいませんよ。保健局長のヘルミーナともども当局のブラックリストに入っている、忌まわしい悪魔の名前ですから」

 アイリーンは一度目のため息をついた。その直後、首輪の探知をしていた職員が、絶望的な声で「中央医療センターです」と報告した。アイリーンは深緑色の官帽を頭から下ろして、深々と、二度目のため息をついた。

「ヨルシェ=メルディン。通称『保健局の悪魔』。自他局の機材や資源を無断で借用――もとい窃盗し、悪用するだけでは飽き足らず、それを横流ししたり、他局の施設で破壊工作を行ったり……トラブルを起こして人を困らせることを趣味にしているような男です。
 奴が犯人だとしたら、首輪の件も理解できます。きっと、医療センターのブラックカードを無断で持ち出し、それでレイクサイド殿の機械首輪を開錠したのでしょう」
「ブラックカード?」
「ええ。いわゆる“マスターキー”と呼ばれるものです。
 貴方がたの機械首輪を解除できるキーは二種類だけです。一般的に貴方がたが目になさるのは、婚姻届提出後に配布される、白いカードキー…………俗に言うウェディングカードですね。これは特定の機械錠の解除コードをプログラムされたカードキーで、特定の首輪のロックだけを解除することができるものです。
 もう一方の黒いキー。こちらは、ごく一部の部署に配布される黒いカードキーで、すべての機械錠のマスターキーになっています。医療センターには、緊急時に備えて、責任者の権限で首輪を外して必要な施術ができるよう、専用のブラックカードが置いてありますから。奴はそれを使ったのでしょう」

 ルイスは納得げに頷いた。

「あれ? ってことは……あいつ、お医者さんなの?」
「ええ。診療部の上級職員です。ですが治安を乱す者は我々の敵です。世のため人のため、早くアヴァロンから追放してやろうと我々も尽力しているのですが、毎度毎度、のらりくらりと……。まったく、どうしてあんなのがαなんだか……」
「……あるふぁ?」
「ええ、αですよ。それも、とびぬけて悪知恵の働くαです。そうでなければ、我々が何度も出し抜かれたりするものですか!」

 彼女は力強くテーブルを叩いた。興奮して呼吸も乱れていたが、じきに冷静を取り戻すと、きまり悪げに咳払いをした。

「失礼。レイクサイド殿は、奴のつがいになられたのでしたね」
「最悪だよ」

 ルイスはがっくりと肩を落とした。

「まったく、もう。なんでそんな奴が野放しになってるんだよ。……とにかく、捕まえてよ」
「それが出来るのなら、我々も苦労はいたしません」

 アイリーンは、力なく首を振った。

「困っているのは我々警備局ばかりではありません。司令部ですら、手をこまねいているそうです。なにせ保健局ときたら、入院患者の精神衛生にかこつけて、独断で医療施設の要塞化を推し進めておりまして、他局の職員……とりわけ強制執行を行おうとする当局に対しては、非常に手厳しいのです。武力行使を試みても、医療設備や技術は向こうにあるわけですから、長期戦となればこちらが消耗するばかりです。捕虜にでもなろうものなら、魔女――局長ヘルミーナに毒を盛られて……ああ、その先は、私の口からは、とても」

 アイリーンは昔見た悪夢でも思い出したかのように、肩を抱いて、身震いした。彼女ばかりでなく、周囲の職員たちも青ざめていた。中にはデスクの下に潜り込んで縮こまっている者もいた。仔細が気がかりではあったものの、彼らの傷口をえぐるのも何やら不憫に思われて、ルイスは沈黙した。

 一通りの聞き取り調査が終わると、ルイスは仰々しい警備で居住区へと送られた。

「ともかく我々も、出来る限りのことはいたしますので。何かあれば、私……アイリーン・シャロットから、レイクサイド殿のアドレスにご連絡いたします。一応、番号をお渡ししておきますね」
「ありがとう」

 ルイスは、アイリーンの連絡先を記した紙切れをポケットにしまった。

「でも、あいつを捕まえても、つがいは、やめられないんだよね……?」
「そう、ですね……。法規上は、離婚届の提出によって、離縁は認められますが……根本的には体の問題ですので、私では、わかりかねます。……個人的には、あまり、おすすめできませんが。保健局に問い合わせてみては?」

 アイリーンはルイスに、もう一枚紙を渡した。保健局の相談窓口の番号だという。

「餅は餅屋ですからね。……では、また何かあれば、いつでもお呼びください」

 アイリーンは見本のような敬礼をして、颯爽と去って行った。



◆5

 サロンはΩでにぎわっていた。丸テーブルを囲んで白服の青少年たちが談笑する中、ぽつんと青い制服が見えた。ルイスはいてもたってもいられなくなって、彼の方へ駆けていった。

「バード! キミって診療部だよね!?」

 人畜無害と平和主義を顔面に塗りたくったような冴えないβは、目を丸くして、ルイスにまずは瞬きを返した。

「え、ええ。そうですけど。どうしたんですか?」
「どうしたもこうしたもないよ! 最悪なんだよ! さっきねぇ、おたくのヨルシェってやつが……」

 ルイスがその名を口にした瞬間、バードの表情がけわしくなった。彼はルイスの喋るのを、手で一旦さえぎった。そして胸ポケットからメモ束のようなものを取り出すと、一枚破ってルイスによこした。

「なにこれ」
「専用窓口です。ヨルシェ先生へのご苦情はそちらにお願いします」

 バードは深々と頭を下げた。ルイスは紙切れを一瞥もせずに、その場でビリビリに破り捨てた。

「ふざけるなよ! 困ってる人の心に寄り添って親身に対応するのがカウンセラーだろ!? こんなマニュアル対応していいと思ってるの!?」
「ぼくらだって難儀してるんですよ! この人たちには!」

 ルイスに負けじと声を張ったあと、バードははっとして、恥ずかしそうに目を伏せた。

「すみません。でも、毎日毎日、数えきれないくらい苦情が入るんです。別口で対応しないと仕事にならないんですよ」

 ルイスは再び彼に噛みつこうとしたが、バードがあまりに殊勝げにするので、吐こうとした言葉を飲み込んだ。ルイスは床を靴先でたたきながら、苛立たしげに息を吐いた。

「あいつ、何なの?」
「先輩たちは『Mr.トラブル』って呼んでます。……医療センターに封印されてるはずなんですけど、なぜか、技術局の研究所で起こった爆発事故の現場に居たり、製造局の工場に居たりするらしいんです」

 それから彼は、おおむねアイリーンと同じようなことを語った。こうまで評判の悪い人間というのも、なかなか珍しい。そんな奴とルイスは今や(不本意にも)つがいなのである。事故であれ何であれ、首を噛まれてしまった以上は、いやがうえにもつがいである。かくなるうえは、相手の良い評判を頂いて、少しでも自分を慰めたいのが人情である。ああ、見ず知らずの人に貞操を奪われてしまった! でも、実はすっごく素敵な人だった! 不幸中の幸い! むしろ噛まれてよかった! 結果オーライ! と安心したいのである。だが、事情通らしいバードに根ほり葉ほり尋ねてみても、出てくるものは悪評と恨みごとばかりで、ヨルシェについて詳しく知れば知るほど、ルイスは憂鬱になった。もっとも、悪評しか出てこないのも当然といえば当然で、そもそも真っ当な人間が見ず知らずの人間のうなじを噛むはずがないのだ。

 じゃあ見ず知らずではないのだろうか。ルイスは記憶の引き出しをひっくりかえしてみたけれども、やはりあの顔に心当たりはない。ルイスに会える人間といえば、同じΩか、当局の厳しい審査をくぐり抜けた既婚の職員か、さもなくば接見会に訪れたαだけだが、やはり心当たりはない。間違いなく面識はなかった。しいて一点、そんな悪名高い人物に目をつけられるような理由があるとすれば、ルイスの類まれな美貌くらいだが、それを知る術が果たして向こうにあったのだろうか。写真を撮らせてほしいという申し出はこれまでにも何度かあったけれども……。

 いずれにせよ、ルイスにしてみればまったくの災難である。ルイスの美貌に目をつけた男が、一方的にルイスにほれ込んだ挙句に強硬手段に出たのだとしたら、とんでもない話だ。ストーカーが結婚を迫り、あまつさえその結婚には強制力があって、ルイスの意思にかかわらずそのストーカーと一生添い遂げなければならないという類のものである。考えるだけでも身の毛がよだつ。

 聞けば聞くほど憂鬱になっていくヨルシェ談義の途中で、ルイスはポケットに手を入れた。指先に触れた紙は、引っ張り出すまでもない。先ほどアイリーンから受け取ったものである。彼女とのやり取りを思い出したルイスは、ふと例の件について、目の前の保健局職員に尋ねてみる気持ちになった。



◆6

「つがいをやめる方法? ですか?」
「そう。知らない?」

 バードは煮え切らない様子だった。腕を組んで、難しい顔をして彼の言うことには、

「そもそも、つがいになった相手とは、フェロモンの影響でお互いに好感を持つようになるのが普通です。それにΩは、αやβに比べてロスパース病の進行がとても速いので……」
「ロスパース病?」
「ええ。つがっている相手と引き離された場合、ショックで胸が痛くなったり気分が落ち込んだりすることがよくあるのですが、それがもっとひどくなると、体に力が入らなくなったり、免疫力が低下して病気にかかりやすくなったり、妄想や幻聴にさいなまれたりするようになるんです。それが、ロスパース病です。
 合併症で命を落としてしまうことは珍しくありませんし、そうでなくても、ストレスで衰弱死してしまうこともあります。Ωの死亡率の約三割を占める、危険な病気ですよ」
「……つまり、どういうこと?」
「つがいと離れ離れになると、最悪の場合、死に至ることがある、ってことです。
 空中楼閣で生活しているΩは、つがいと接する機会が少ないせいか、ロスパース病の発症率が特に高いんですよ。実際、ぼくのところに持って来られる相談も、大抵は、つがいに関することなんです。パートナーに会いに行きたいとか、その反対に、なかなか会いに来てくれなくて寂しいとか……。心の痛みだけじゃなくて、体の痛みを訴える患者さんも多いです。つがいに会えると、嘘みたいにけろっと良くなるんですけどね」

 深刻な顔つきのルイスを励ますように、バードは微笑んだ。

「ともかく、つがいと仲良くすることがロスパース病の予防にもなりますし、一番の薬にもなるんです。だから、つがいになった相手と離れようとするのは、やめた方がいいですよ。Ωは特に」

 ルイスは、ヨルシェと仲良くするところを想像してみたけれども、実際それは悪夢以外の何物でもなかった。

「無理だよ。ロスパース病になる前にストレスで病んじゃうよ」
「……そうですよねえ」

 バードは心からルイスに同情し、深々と頷いた。

「何か良い手がないか、ちょっと、医療センターの先生方にあたってみますね。差し支えなければ、後ほどメールを送らせて頂きたいんですが、…………ええと……すみません。連絡先……」
「ああ、はいはい」

 ルイスの見せたカードキーの数字を控えると、バードは早速出かけて行った。何かしらの収穫のあることを、ルイスは祈るばかりだった。




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