「限りなくクロに近いブルー(Ⅰ-3)」

◆7

 ルイスが悪名高い男にうなじを奪われた、その翌朝。農地へ向かう一等コンテナの中で、彼は友人に愚痴り続けた。昨日、自分がいかに不幸な目にあったか。ギルバートは深い憐れみをもって、親身にルイスの話を傾聴した。ヨルシェの名前が出てくると、彼は少し眉根を寄せたけれども、感情的になっている相手に対しては反論よりも共感が良手であることを知っていたし、またルイスがつがいとなるべき相手に対して並々ならぬ期待を抱いていたこともよくよく知っていたので、ギルバートはひたすら聞き役に徹した。
 同乗していたほかのΩたちが「あいつまだ言ってるよ」と呆れ顔を向け始めても辛抱強く頷き、仕事が始まってもなお尽きせぬ彼の恨み節を黙って聞いていたギルバートだったが、ルイスの作業の手までも御機嫌ななめになってくると、さすがに見かねて口を出した。

「気持ちはわかるが、ものに当たるのはよくないと思うぞ」

 乱暴な収穫によって散りゆく果樹の葉や、やや潰れた真っ赤なミラクルベリー。彼らはルイスの八つ当たりの犠牲者である。「わかってるよ」と返したものの、バスケットに投げ込まれる潰れた果実も、ちぎれた葉っぱの枚数も一向に減らない。ギルバートはため息をついて、ルイスと場所を交代した。

 収穫係を解任されたルイスは、脚立の下でバスケットを持つ係になった。

 送風機の風が首筋をなでた。慣れない感覚に身震いし、ルイスは空いた手で首を覆った。――この首の違和感もルイスの不機嫌に一役買っていた。首輪はまだ、ヨルシェに奪われたままなのだ。ああ、思い出すだにむかっ腹が立つ。ルイスは再びヨルシェへの文句を連ね始めた。それから二、三分も喋った頃だろうか。不意にその言をさえぎって、ギルバートが口を開いた。

「俺が、βだと誤診されてて、ずっとセントラルで暮らしてたって話は、前にしたよな」
「うん? ……うん」
「その頃の、かかりつけのお医者さんが、ヨルシェ先生だったんだ」

 ルイスは驚き、ギルバートを見上げた。

「確かに、風変わりなところはあるさ。でも、悪い人じゃないと思ってる。だから、ヨルシェ先生が不意打ちで、こともあろうにΩのうなじを噛んだなんて、正直言って、俺には信じがたいんだ」
「そうなんだ。でも残念だけどギル、その考えは改めなきゃいけないと思うよ。本当は悪い人だったんだよ。普段は完璧な好青年を演じていたけど実は陰では悪いことしてたなんて、よくある話だよ。キミは患者さんだったから、たまたま良くしてくれたのかもしれないけどね」
「それなんだけどな。……本当に、噛まれたのか? ヨルシェ先生に、直接?」
「だから、そうだって言ってるじゃないか! 見てよこの歯形! これがあいつの噛みあとじゃなかったら何だって言うのさ!」

 未だ生々しい歯型の残る首すじを見せつけられても、ギルバートは納得していない様子だった。

 昼休憩を挟んで、三つ目のバスケットからも果実がこぼれそうになってきた頃、二人のもとに赤い制服の男性が近寄ってきた。農産部の職員だ。

「そろそろ時間だからテキトーに上がって。そんで、それに入る分だけ持って帰っていいよ」

 職員はルイスに小さな袋を渡した。そして他の作業者たちに、同じような言葉を掛けに行った。
 臨時ボーナスである。嬉しい誤算に、ルイスとギルバートの表情はほころんだ。

 ルイスはさっそく、袋に赤い実を放り込み始めた。袋の口も締まらなくなるほどいっぱいに詰め込んだあと、ルイスは籠の中から赤い果実を一つつまんで、口にふくんだ。

「こらこら。つまみ食いするんじゃない」
「大丈夫だよ。いっぱいあるし、一個くらいバレないバレない」

 咀嚼しても、全く甘みはない。別段美味しくもなく、ちょっと腹が膨れるだけ。

「ミラクルベリーってさ、苦いのと食べるのがいいんだっけ」
「酸っぱいのだな」

 バスケットの中から果実をじっくり厳選していたギルバートは、ふとルイスの袋へ目を向けた。透明の袋の中には、つやつやした粒ぞろいがぎっしり詰まっている。

「形の悪いのから取っていかないと。あんまり収穫が雑だと、市民点下がるぞ」
「だから今、証拠隠滅してるんじゃないか」

 ルイスはつまみ食いを続けた。バスケットの中からひとつ、またひとつと収穫物が消えていく。ギルバートは肩をすくめた。

「種はどうするんだ」
「埋めとく」

 ルイスは土を指先でえぐると、吐いた種を埋めて、元のように平らに戻した。そんな様子を見て、ギルバートはため息をついた。

「あのなあ、ルイス。隠せばいいってもんじゃないんだぞ。そうして隠蔽したってな、悪い行いをしたという事実は消えないんだ。それに、自分の行いは、いつでも自分が見てるんだぞ。悪いことをしたら、必ず心は痛むんだ。ほら、胸に手を当てて、自分の心に聞いてみろ。良心がとがめているはずだ」
「ボクの心の中の天使は、オールオッケーって言ってる」

 ルイスは自分の胸に手を当てて、ちょっと考えたあと、ギルバートをまっすぐに見据えて、キッパリと言い放った。

「……壁に耳あり、障子に目ありだぞ。いいことをした時も、悪いことをした時も、絶対に誰かが見てるんだからな」

 ギルバートが、半ば諦念をにじませながらそう言うと、ルイスはまじまじとギルバートの顔を見つめた。

「まさかギル、ウワサの、『司令部の目』だったりしないよね?」
「……なんだそれ?」
「あれ? 知らない? 結構有名な話だと思ってたけど」

 ギルバートが首を振ったので、ルイスは噂話の仔細を喋った。

「ほら、『市民点』ってさあ、あるけどさあ。あれ、誰がどうやって点数つけてるのかって、ちょっと謎だよ。そう思わない?
 司令部は『アヴァロン市民としての模範的態度を評価する』とかなんとか言ってるけどさ。でも、別にテストみたいなのがあるわけでもないのに、誰それは何点って、ひとりひとりに、きっちり点数つけてるじゃない」

 ルイスは辺りをうかがった。のどかな農業用地には、特に怪しい人影も、怪しげな機材も見当たらない。いつも通りのごくごく平和で平凡な、牧歌的な景色が広がっていた。

「……誰が、いつ、見てるのかなって」
「ああ、なるほど。言われてみれば、確かにな。……でもそれは、局ごとに勤務態度をチェックして、それでつけてるんじゃないのか? 掲示も局ごとだし」
「じゃあギルは、上司が無能な部下を追放してるって、そう思ってるの?」

 ギルバートは返答に詰まった。追い打ちをかけるかのように、ルイスは続けた。

「こないだ、総務局からも一人、下船者出たけど。それは、身内が足切りしたって、そう思ってるの? 酸素ボンベなしじゃ一分ともたない宇宙の闇に丸腰で置き去りにする誰かを、毎日顔を合わせてた誰かが選んだって、そう思ってるの? 昨日まで一緒に働いてた、大事な仲間だよ? 下船者……ううん。『追放者』が、市民点の低い人から選ばれるってことをわかってて、点数つけるってことは、そういうことだよ」

 ギルバートは目を閉じて、静かに息を吐きだした。

「そうだな。それは、ないな。と、いうか。考えたく、ないな」
「だろ? だからさ、言ってるんだよ。黒幕は総司令部なんじゃないかって。何か、ボクらにはわからないような方法を使って、上手にボクらの行動を監視して、下船させる人間を決めてるんじゃないか、ってね」
「……ああ。それが、『司令部の目』か?」
「そう。それで、司令部に反逆的な人に悪い点数つけて、追放してるんじゃないかって。ああいう残酷なことできるの、上の連中ぐらいだろうって、そういう話……」

 ルイスは目を伏せ、ため息をついた。
 帰り道は二人とも、終始無言だった。



◆8

 その日の午後、サロンはなにやら騒がしかった。Ω連中が群れを成して一か所に集っていた。白いベレー帽のうごめく波間に、緑色がぽつんと見える。取り囲まれているのは警備局職員で、Ωたちの目当ては彼の手にしている手提げ箱らしい。Ωたちは、かっちりとした深緑色の制帽よりもずっと高くに掲げられた箱を狙って、ぴょんぴょん飛び跳ねていた。またある者は標的の腕にしがみついて、箱を引きずり降ろそうとしていた。

「だー、もう! お前らいい加減にしろ!」
「ギルはいいって言ったー!」
「くれるって言ってたー!」
「嘘つけ! まだギルには見せてもいねえよ!」

 緑色の制服を着こんだ青年は、はたとルイスたちの方へ顔を向けた。

「ギル! ちょうどよかった!」

 青年は、まとわりつくΩたちをひきはがし、かきわけながら、ルイスたちのもとへ近づいてきた。だがその途中、Ωの一人が、彼の手から箱を奪い取ることに成功したらしい。箱が開かれ、ふわりと甘く香ばしい香りがあたりに漂った。

「ドーナツだー!」
「いいよね!? いいよね、ギル!」
「ああ。お茶でも淹れてこような」
「ギル!? 何言ってんだよ!」
「ヴィクター。ひとりのものは、みんなのものだ。……わかるだろ?」

 ギルバートに諭すように言われて、緑の青年は、不承不承、頷いた。

 それから十数分もしないうちに、サロンはΩで溢れかえった。どこからともなく話を聞きつけたΩたちが、ご相伴にあずかろうとやってきたのだ。白服の青少年たちは、細かく切り分けられたドーナツ片をつまみながら、和気あいあいと――一部は殺伐とした争奪戦を繰り広げながら、仲良くティータイムを楽しんでいた。

「おいはぎにでもあった気分だぜ」
「こういうのは、隠して持ってこなきゃだめだよ。誰かに見つかったら、結局こうなるんだからさ」

 そう言いながらルイスは、ちゃっかりせしめたドーナツを食んだ。
 もと一ダースのドーナツが詰まっていた箱はすっかりからっぽだった。ギルバートの手に最終的に渡ったのは、一個の半分。十二個あったはずの輪っかが今や半円ぽっちである。ヴィクターは頬杖をついて、むすっとした顔で略奪者たちを睨んでいた。

「たまにはギルに腹いっぱい食べさせてやろうと思ってたのにな」
「まあ、いいじゃないか。みんなでわいわいする方が、俺は好きだし」

 そう言いながらギルバートは、割り当て分をぺろりと平らげたルイスに、自分の取り分を回してやった。ヴィクターは納得していない様子で、相変わらず頬杖をついていた。そんな彼も、テーブルの上が片付く頃には、ルイスの首元にあるべきものがないことに気がついた。彼はギルバートの肩をつついて、そっと耳打ちした。

「なあ。ルイスの奴、いつの間に上手くやったんだ?」
「いや、違うんだヴィクター。それは今、ルイスにとって非常にデリケートな問題で……すごく……ややこしい事情があるんだ」
「なんだそりゃ」

 ギルバートの返答で、ヴィクターの関心はむしろ強まった。むき出しの首すじに向けられる視線に気付いて、ルイスも彼に視線を返した。ただルイスが注意を向けたのは、彼のいぶかしげな表情よりも、むしろ彼の装いの方だった。つまり、ヴィクターの身にまとっている警備局職員の制服である。

「そういえば、ヴィクターって防災部だったよね。第二居住区の警備、どうなってるの?」
「ここの警備? ……なんでまた?」
「実はさ……」

 ルイスは、首輪にまつわる一連の騒動について語って聞かせた。一通りの事情をのみこむと、好奇にかがやいていたヴィクターの眼差しは、やがて同情的なものにかわった。

「そりゃ、かわいそうにな。でも生憎だけど、俺は警護に関しちゃ門外漢なんだ。防災ったって俺は消防で、そういうのは、警備部の管轄だし。それに、ぶっちゃけ空中楼閣のことはよく知らねえんだよ。セントラルとは、方針も随分違うみたいだしな」

 ヴィクターは小さくため息をついた。

「ことΩの居住区画は、ややこしいんだぜ。出入りの職員入れ替えるのにも、かなり厳しい審査が必要だとかいう話だ。俺だって、ギルに会いにくるのに入場願出しても、認可されるまで毎回一週間は待たされるんだ」
「そのわりには、毎週顔見てるような気もするけどな」
「だからここ来る前に、来週の入場願出してんだよ」

 ギルバートにそう答えて、ヴィクターは両手を頭の後ろで組んだ。

「しっかし、侵入事件ねえ。第二居住区はアイリーン先生がいるから心配ねえと思ってたが。穏やかじゃねえな。……ギルの方は、大丈夫なのか?」
「ん? ああ。俺の方は全然、心配いらない」
「…………いや、でもな。何かあってからじゃ遅いし。これからは、もう少し頻繁に来ようかな……」

 ヴィクターは視線を右へ左へ落ち着きなく飛ばしながら、独り言にしては大きな声で呟いた。

「会いに来てくれるのはうれしいが、それじゃヴィクターが大変だろう? 忙しいのに無理しなくていいんだぞ。こっちの方は大丈夫だから」
「ウルセエよ。俺が来たいから来てんだよ、バカヤロー。つーかお前は、もうちょっと、こう……寂しがれよ」

 ヴィクターは拗ねたようにそう言って、テーブルに突っ伏した。そういう彼の頭を、ギルバートは撫でた。「子ども扱いすんなよ」と唇を尖らせながらも、ヴィクターはおとなしく、されるがままになっていた。

 そうした二人の姿を見ていると、ルイスは何だかもやもやした。
 二人に見せつけるような意図も他意もないことは、ルイスも理解していた。しかし彼らを見ていると、どうしても、あの男のことを思い出してしまうのだ。あの、最悪の、自分のつがいのことを。

 ルイスのうなじを勝手に噛んだ、あの青いラボコートの男。最低、最悪の男。あいつとは、とてもではないが、良好な関係が築けるとは思えない。築きたくもない。そもそもつがいだなんて、認めたくもない。
 そんなだから、幸せな二人を見れば見るほど、ルイスはやるせなくなるのだ。つがいとそうした関係を築くはずだった自分の夢が、希望が、ぼろぼろと崩れていくかのように思えて……。

 不意に立ち上がったルイスを、不思議そうにギルバートが見上げた。

「ルイス。どうしたんだ?」
「ボク、ちょっと部屋に戻ってるね」
「気分でも悪くなったのか?」

 ヴィクターがそう言うと、ルイスはからからと笑った。赤い果実のぎっしり詰まった袋を片手に。

「ちがうよぉ。あま~いあま~いスイーツが、部屋でボクを待ってるんだ。みんなでわいわいもいいけどさ。とびっきりのご馳走は、独り占めするのがイチバン。そうだろ? ……それより、キミたちはさ。せっかくのデートなんだからさ。ゆっくりしなよ。ふたりっきりでね」

 含みを持たせてルイスは言った。ギルバートはきょとんとしていたが、ヴィクターはルイスに向かってぐっと親指を立てた。



◆9

 四階へ着いた。エレベーターの扉が開き、広々としたエレベーターホールがルイスを出迎えた。それを道なりにまっすぐ行くと、道が枝分かれして、込み入って来る。ルイスは、勝手知ったるとばかりにくねくねと道を選んで、廊下の両脇に幾つも扉の並んだ個室区画へとたどり着いた。そのうちの一つの機械扉の脇へ立ち、カードリーダーに自身の白いカードをかざした。機械扉がゆっくりスライドし、ルイスを内へ招いた。

 個室には、シングルサイズのベッドがひとつ。あとは人ひとりがどうにか歩けるだけの、わずかなスペース。サロンに比べると狭苦しいが、それでも、限られた敷地の中でこうした個人的空間を持てるのは、れっきとしたΩの特権だ。なかでも、ふわふわのベッドは極楽そのもの。このベッドに寝転がって水菓子を貪るという贅沢なんてした日には、まさに天まで昇る心地だ。

 しかし、彼が楽園に足を踏み入れることはなかった。なぜならルイスの楽園は既に悪魔に占拠されていたからだ。

 扉の内に足を踏み入れるやいなや、ルイスは叫び、手にしていた袋を取り落とした。床を転がる赤い果実を一つ拾い上げると、目の下に痛々しいあざのある青衣の男は、顔をひきつらせたルイスに向かって、軽く目を細めた。

「やあ、おかえり」
「な……な……なんで……」

 男は赤い実を口の中に放り込んだ。もぐもぐと顎を動かす不法侵入者に、反省の色はまったく見えない。ルイスの後方で扉が閉まりかけた。オートロックである。二人きりになるのはまずいと、瞬間的に判断したルイスは、すぐさま部屋を飛び出した。
 青ざめた顔で、廊下を足早に歩くルイスのあとを、男もまた足早についてきた。

「情緒不安定、焦燥感、倦怠感、注意力及び集中力の欠如、発熱、食欲減退、不眠、動悸、息切れ、落涙、重度のメランコリー……」

 ルイスは無視しようとつとめたが、呪文がいつまでも続くので、男を一瞥した。男はいつの間にちょろまかしたのか、ルイスの楽しみにとっていたキウイの皮に爪を立てていた。

「そうした症状に悩まされたくないのなら、君は私のそばにいるべきだ」
「まだ殴られたりないの!?」

 ルイスがファイティングポーズを取ると、男は一歩退いた。略取品の返却を要求すると、ヨルシェはしぶしぶ、ルイスの手にキウイを乗せた。

「第一、なんでボクの部屋知ってるんだよ。っていうか、どうやって入ったんだよ」
「愛の力さ」

 男は冗談めかして言ったが、ルイスはくすりともしなかった。男は鼻の頭をかいた。

「帰りしなに、清掃部の者に洗濯物を持っていくようにと頼まれたんだよ。まったく、他部署の人間を顎で使うなんて、とんでもない奴もいたものだ。……まあ、君には用事があったところだから、ちょうどよかったけどね」
「ボクはアナタに用なんてない。顔も見たくない」
「そう心配しなくても、用事が済んだらすぐに帰るさ。私だって、君のような野蛮人とは必要以上に関わりたくはないのでね」

 男は小脇に抱えた鞄から電子端末を出して、二、三操作すると、ルイスに画面を見せた。
 細々した枠の並んだ電子書類の上部には「婚姻関係届出画面」とあった。「夫になる人」の欄には「ヨルシェ=メルディン」と入力され、名前の傍に、本人認証の済んでいることを意味する緑の丸印が付いていた。

 男は「妻になる人」の欄を示して「ここに名前を吹き込んで、承認して頂けるかな。カードキーと指紋で大丈夫だ」

「……これって、婚姻届だよね」
「そうだよ」
「ボクが承諾するとでも思ってるの?」
「さあ? でも、私の言う通りにしておく方が身のためだよ」

 ヨルシェはにっこり微笑んだ。

「君の市民番号は控えさせてもらったよ。何から何までこの番号一つで管理できるのは便利だが、場合によっては非常に困ったことになるね。ちょっと機械の扱いにくわしい者なら、君になりすまして悪事を働くこともできるのだからね。たとえば反逆的なプロパガンダをばらまいたり、公的には認可されていない物品の取引をしたり。誰かさんのちょっとした悪戯を君の仕業に見せかけて、君の市民点に大打撃を与えることだって、わけないのだよ。
 ――――時に君は、市民点の喪失が、何を意味するか知っているかい?」
「船から、下ろされる」

 警戒しながらもルイスが答えると、ヨルシェは肩をすくめた。

「皮相的な答えだ。いかにも温室育ちのお坊ちゃんらしいね」
「なんだよ! 馬鹿にするのもいい加減に……」

 喰ってかかろうとしたルイスの眼前に、ヨルシェは指を突き付けた。ルイスに向けられたまなざしと声音は鋭く、口答えを許さぬ強い気迫に満ちていた。

「いいかい、君。市民点はね、このアヴァロンでヒトとして暮らす権利なのだよ。すなわち生存権に等しいのだ。
 女性の妊娠がまったく不可能な今、君たちΩとその配偶者は、どんなに点数が下がってもアヴァロンを追放されることはない。Ωの男子は、数少ない、貴重な母体だからね。だが、市民点を失ったΩの末路を知れば、きっと麻袋に押し込められて宇宙の藻屑となった方がましだと思うことだろう。
 市民点を失ったが最後、諸君は人権を剥奪される。ヒートを誘発する薬を打たれ、慰安のため、娯楽のため、公共物として市民への奉仕を強要される。老いさらばえて妊娠能力を失うまでね。……生き地獄だと思うよ」

 男の脅し文句に、ルイスは少しだけひるんだが、それでも気丈に言い返した。

「なんでアナタのやったことのために、ボクが処罰されなきゃいけないんだよ」
「それが社会のルールだからだよ、ルイス=レイクサイド君。この世は強者にとって合理的に、弱者にとっては不合理にできているんだよ」

 ヨルシェは電子端末を差し出して、再びルイスをうながした。しかしルイスは断固として応じなかった。画面すらも視界に入れたくないといった風情である。ヨルシェはため息をついて、端末を鞄にしまった。そして、それと入れ替えに機械首輪を引っ張り出したかと思うと、それを無造作にルイスの方に放った。

「お返ししておくよ。それを持っていると警備局が実にやかましいのでね」

 なじみのある番号の刻印された首輪が手元に戻ってくると、ルイスは少しほっとした。ロック音とともに、首に重みを感じると、まるで鎧を付けたかのような安心感があった。ほっと溜息をつき、表情をやわらげたルイスのことを、ヨルシェはどこか冷めた目で眺めていた。

「首輪をもとに戻したところで、君が私のつがいであることに変わりはないよ。それはただ、君が社会的弱者であることを証明するにすぎない」
「ボクは、アナタみたいな人とつがいになったなんて、絶対に、認めない」

 ヨルシェは肩をすくめた。

「君が認めようと認めまいと勝手だけどね。手続きだけはよろしく頼むよ」
「誰が!」

 ルイスは、背を向けてすたすた去っていく男に向かって、まぶたの裏を見せた。



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