「限りなくクロに近いブルー(Ⅰ-4)」

◆10

 夜が更けるとルイスは、常夜灯の灯った仄暗い廊下を歩いて、サロンへ向かった。メールのチェックをするためだ。

 居住区画に備え付けられた電子端末は、Ωにとってはほとんど唯一といってもいい、外部との連絡手段である。各局への問い合わせや個人的物資の発注その他諸々、様々の用事を済ませるため、限りある端末に人々は長蛇の列を作る。ただ、人の寝静まった夜半に使おうと考える者は、やはり少なかった。日中は人々の話し声と電灯の光とに包まれていたサロンには、今や寂しい静けさと薄闇が広がり、円卓も椅子もみな眠っているかのようであった。

 モニタにカードキーをかざすと、電子端末は目を覚ました。ルイス・レイクサイドと表示された個人メニューに、新着メール二件の文字が、構ってほしそうに飛び跳ねた。それをちょんと指先でつつくと、メールアプリが立ち上がった。

 メールの一通は、診療部のバードからだった。もう一方は見慣れないアドレスからだったが、開いてみるとその主はルイスにはわかった。
 昼間見たのと同じ画面が――婚姻関係届出画面が表示されたからだ。「承認よろしく」というメッセージのあとに、ふてぶてしくも「君の旦那様より」と署名してあった。ルイスは反射的に、電子端末を叩き壊したくなったが、ぐっとこらえて、返信を書き始めた。
 半刻あまりをかけて、これでもかというほど文句を書き連ねたものを、送信した。溜まりに溜まった鬱憤を吐露したためか、気分は少し晴れやかになっていた。

 それからルイスは、バードのメールに目を通しはじめた。
 医療センターの上級職員たちに一通り確認したが、やはり、安全につがいを解消するような医学的方法はない、という報告だった。ルイスは肩を落としたが、文面を読み進めていくうち、少し希望が戻って来た。一人だけ、その筋の権威で話を聞くことのできなかったスタッフがいるらしい。連絡先を書いておくので、急ぎならそちらの方で尋ねてほしいということだった。さらにスクロールしていくと、確かに名前とアドレスが記されていたのだが、その名を見て、ルイスはぎくっとした。

 ヨルシェ=メルディン。――あの、憎たらしい男だった。

 罵詈雑言をさんざん書き連ねたメールを送信した直後である。尋ねごとなど、とてもできない。それに、あいつに頭を下げるのも、ルイスは絶対にごめんだった。

 しかし、ひょっとしたらと、思わない気持ちもないではない。といって――。

 聞こうか聞くまいかと、ルイスが考えあぐねていた時だった。
 何気なく振り返ったルイスの視界の端に、人影が映った。帽子を目深にかぶった人物が、外套をひるがえしながら、さっとサロンの前を横切っていったように見えた。

 ちょっと考えたけれど、ルイスはあとを追うことにした。寂しい暗がりの中を、まるで人目をしのぶかのように歩くその人の外套の色が、黒であったように見えたのだ。黒は、司令部の色だ。このアヴァロンの舵を取り、民衆をコントロールする、支配者の色。
 ――もしかしたら、噂の『司令部の目』かも。人の寝静まっている間に暗躍しているのかもしれない。

 それに、何より。その人の姿を見た時、なんだか妙に、ルイスの胸が騒いだのだ。もしかして、もしかすると、運命の人、だったりするのかもしれない。

 ちょっとした探偵心と好奇心から、ルイスは物陰に隠れながら、慎重にその人物のあとを追った。しかし実際に尾行なんかしようと思っても、なかなかうまくいかないもので、見つからないようにと注意するあまり、闇にまぎれる外套の人物の後姿をいっとき見失ってしまった。
 あわてて距離を詰めると、幸いなことに、閉まりゆくエレベーターの中に、その人影を見つけることができた。エレベーター内を照らす明りの下に、黒い外套の端と、帽子を押さえる手が見えた。帽子のてっぺんはエレベーター内に備え付けられた鏡より、ちょっと高いくらいだった。後で調べたところによると、少なくとも180センチは越しているだろうとのことだった。薄闇の中で上向きの三角ボタンが光っていたのも、ルイスは確かに見届けた。

 居住区の白いエレベーターは、一階から十二階、とんで四十一階のバルコニーにしか止まらない。今、ルイスがいるのは五階だ。ルイスは耳を澄ませて、数を数えた。扉が閉まってから五つほど数えたところで、ポーン、と軽快な音がかすかに聞こえた。

 間隔から察するに十二階のあたりだろうか。ルイスはエレベーター脇の階段を、急ぎ駆け上がった。

 十三階への道を塞ぐシャッターにぶち当たるまでルイスは階段を駆けあがった。目的の階へ着いた時には、完全に息切れしていた。仄暗い階段を出て、ホールの明かりに目が慣れても、まだ呼吸は乱れていた。そんな最中に、深緑の服を着た職員と、ばったり出くわした。アイリーンだった。

「何かありましたか?」
「あの、ここ、誰か来なかった?」
「いえ。私はずっとこの改札周りを見張っていましたが、誰も……」

 アイリーンはいぶかしげな顔でルイスを見た。こんな夜更けに息を切らして、一体何ごとかと、彼女が不審がっているのは、ルイスにも伝わった。ルイスは少し迷ったけれども、正直に話すことにした。

「黒い服の人が、エレベーターに乗ったのを見たんだ。その……白い方のエレベーターに」

 アイリーンは眉をひそめた。

「妙ですね。本日付の入場願に、司令部職員の名はありませんでしたが。……確かに、黒でしたか?」
「うん……。黒だったと思うよ」

 アイリーンは腕を組み、厳しい顔つきでエレベーターの方をにらんだ。鮮やかに彩色されたエレベーターの扉の前で、自動改札機が薄青い光を放っている。彼女はポケットから取り出した無線機で、二言三言指示を飛ばした後、ルイスに再び向き直った。

「外部へ出入りできるエレベーターは、この一基だけです。かつ、居住区内の改札へ通じるのは十二階と一階だけ。一階の改札の方もそうした者は通っていないとのことですので……おそらく、まだ居住区内に潜んでいるのでしょう。しかし、ご心配なく。既に要所は塞ぎましたので、確保は時間の問題です。ただ念のため、お部屋までお送りしましょう」

 間もなく交替の職員が、アイリーンに代わって持ち場についた。しかし、ルイスは不服だった。十二階でなければ、おそらく十一階なのだ。早くしないと、どこへ行ったやら、わからなくなってしまう。
 胸に手を当てると、まだ、心臓がどきどきしている。きっと、これは、全力疾走のせいだけじゃない。

 自室へ強制送還されたあと、ルイスは再び廊下へ出た。階段へ忍び寄ると、アイリーンがまだそこにいた。厳しい声で誰何され、慌てて隠れようとしたが、警備のエキスパートを相手にやり過ごせるはずもなく、また捕まってしまった。アイリーンは半ばあきれ顔だった。

「何をしているんですか」
「えっと。……一瞬、トイレに」
「二分ほど前にも行かれたと記憶しておりますが」

 そう。そう言って帰りに撒こうとしたのだが、失敗したのだ。ルイスはしどろもどろになりながらも言い訳を試みたが、無駄な努力だった。
 アイリーンはルイスに、部屋へ戻るよううながしたが、ルイスはてこでも動かなかった。

 ルイス自身、あの謎の人物のことが、どうしてここまで気になるのかわからない。ただ、全身の高揚が、ルイスを駆り立てるのだ。もしも運命というものが存在するとしたら、あの人こそがそうなのだと、ルイスは信じ始めていた。

 長年待ちわびた運命である。ルイスは一歩も引かなかった。だが引く気のないのはアイリーンとて同じである。昼間の不法侵入の件は、すでに彼女の耳にも入っているのだ。

「再びヨルシェの侵入を許してしまったと、報告を受けています」

 ルイスの顔色が少し曇った。

「警備には無論、万全を期しております。先日の一件以来、見回りも増やしています。
 扉の開錠記録を調べましたが、非認可のカードキーが通された痕跡はありませんでした。奴はブラックリストに入っていますので、許可外の区画のカードリーダーにキーを通した瞬間、警報装置が作動し、警備部職員がただちに現場へ駆けつけます。ですが、そうした防犯装置には、これまでのところ奴は引っかかっておりません。
 もちろん、改札機のカードリーダーのログも調べました。ですが居住区内のいずれの改札も、奴は利用した形跡がないのです。……ことによると、奴は、エレベーター以外の手段によって、この第二居住区に出入りしている可能性があります」
「エレベーター以外、って……ほかに道ないよね?」
「そのはずです。ですが、もしかすると、我々さえも知りえない秘密の抜け道があるのかもしれません。ですから、それを発見し、封鎖するまでは、極力、夜間の外出はお控え頂きたいのです」
「でも……」

 渋るルイスに、アイリーンは駄目押しの一言を告げた。

「これは私の推測なのですが。レイクサイド殿が目撃したという黒外套の者……もしかして、ヨルシェだったのでは? 暗中で、青いコートを黒と見間違えたとか……いえ、見間違いでなかったとしても、入院中の司令部職員の服を盗んで変装するなど、あの男であればやりかねません」
「あいつじゃないよ」

 ルイスは断言した。胸に手を当てると、まだ、高鳴っていた。黒外套の姿を思い返すと、ぽうっと頬まで熱くなった。

「あいつだったら、こんな風になったりしないもん」
「……奴でなくとも、Ωに対し、何かよからぬことを企んでいる輩がいないとも限りません」

 アイリーンはルイスに部屋へ戻るよう、再びうながした。しかしルイスは折れなかった。長い押し問答の末に、折れたのはアイリーンだった。彼女は、エレベーターのボタンを押した。上階へ向かうエレベーターの扉が、やがてルイスの前で開いた。



◆11

 宇宙船機能や人工重力発生装置その他の重要設備の電力を賄うため、アヴァロン内では節電が推進されている。空中楼閣内でも、夜間は最小限の機能だけを残して、照明をはじめとするさまざまな電子機能がダウンしている。中には、夜の間中、完全に消灯され、封鎖されるフロアもある。エリアSSMの十一階は、まさにそれだった。

「どうぞ。警報は切ってありますから」

 立入禁止のポールを乗り越えて、ホールへと出たアイリーンに続いて、ルイスもエレベーターを降りた。真っ暗闇の中、サーチライト片手に懸命な捜索を行う警備局職員たちの姿が見えた。

「先ほど技術局に連絡したのですが、通電には少し時間がかかるとのことです。それにしても……」

 エレベーターホールは、ワゴンや段ボールで雑然と散らかっていた。倉庫内に入りきらなくて、あふれてしまった個人褒賞(プライズ)だ。お茶やドーナツといった消えものは早々になくなるが、食べられなくて、そんなに面白くもなく、または壊れてしまったりしたものは、大抵このフロアに寄せ集められる。

 ホールを抜けた先の廊下にも障害物は山積みだ。照明の働いている日中でも歩くのに苦労するほどだから、暗いとなおさらだった。ある程度、勝手を知っているルイスはすいすいとガラクタの山をすり抜けて歩けるが、あちらこちらで警備局職員が障害物にすねや肘をやられて悲鳴を上げていた。

 中には、ワゴンが扉の前を通せんぼしていて、そのワゴンが段ボールの塔に挟まれてにっちもさっちもいかなくなって封印されてしまっている扉もある。そんな扉は、一つだけではない。本来の収納場所へ続く道が通行止めになっているために、生活雑貨や備品類は廊下に出しっぱなしにされている。こうした状況に危機感を持っているΩたち――具体的にはギルバートなどが折を見て片付けを試みているものの、大半のΩはルイスと同じく怠惰な性格を備えていたため、焼け石に水だった。

「ひどいという噂は聞いていましたが、まさかこれほどとは」
「これはまだ片付いてる方だよ」

 障害物に苦戦しているアイリーンを先導しながら、ルイスはそう言った。
 警備局の職員たちは、扉を開いて、中を改めていた。ルイスも、アイリーンにくっついて、倉庫の中を覗き込んだ。だが、いかんせん障害物が多すぎる。雑多なガラクタに遮られて、ライトの光が奥まで通らない。捜索は困難をきわめた。

 十一階の捜索を半分ほども終えたあと、ようやく照明が灯った。それから改めて全部の部屋を見回ったけれど、とうとう怪しい人影は見つからずじまいだった。

 ルイスがすっかりしょげてしまったあとも、警備部の職員たちは障害物を整理しながら、徹底的に調べるつもりのようだった。黒外套の姿を思い返して、ルイスが熱っぽいため息をついていると、ある職員が、彼のすぐそばで「あっ」と声をあげた。

「どうしたの?」
「ダクトの蓋が開いています」

 ルイスは職員の指さした先を見上げた。壁のてっぺんの辺りに四角い通気口が設えられていたが、その通気口の蓋が、ほんのわずかではあるが、ずれているようだった。脚立を登って職員が調べてみると、通気口を留めるためのビスが外れていた。アイリーンの指図で細身の職員がもぐりこんでみると、窮屈ではあるが、人ひとりくらいならかろうじて通ることができることが確認できた。

 じわじわと膨らんでゆく眠気に抗いながら、捜査の進展していくのをルイスは眺めていたけれど、ずっと天井近くを見上げた格好でいたので、ちょっと首が疲れてきた。ルイスがふと視線を落とすと、壁際に安置されたダクトの蓋が目に入った。別段珍しくもない格子状の蓋であったが、ふとその隅に、何か絡んでいるのに気がついた。
 一見すると髪の毛に見えたけれど、まじまじ眺めると、黒い繊維であることがわかった。端にはほんのちょっぴり、布地のきれっぱしがくっついている。触れていると、何だか妙に安心した。

 きっとあの人のものだとルイスは思った。
 黒は司令部の色である。アヴァロンを統治する司令部の職員が、ガラクタまみれの倉庫の中の、埃っぽいダクトへ入る機会などそうそうあるものではない。きっと先ほどの不審者が、ダクトへ忍び込む際に、外套の端でもひっかけたのだろう。貴重な証拠品だ。今まさに警備局の職員たちが、血眼になって探している手がかりだ。伝えたら間違いなく没収されてしまうだろう。

 ルイスは糸くずを手の中に隠して、そっと辺りをうかがった。アイリーンたちはダクトの中を確かめるのに夢中だ。ルイスはちょっと考えて、それを、ポケットに潜り込ませた。

 その他には、とりわけ目立つ発見はなかった。だが、ダクトの中に潜り込んだ職員の服は、しばらく清掃が入っていなかったにもかかわらず、さほど汚れはしなかったので、十中八九、そのダクトが侵入経路であろうということで落ち着いた。

「ご協力、ありがとうございました。徹底的に調べ上げましたので、あのダクトの他には、一切、ええ、一切! 豆の這い出る隙間もないと断言いたします! あのダクトも、二度と通り抜けできぬよう、完璧に封鎖しておきますので、どうぞご安心ください!」

 会心の笑みを浮かべるアイリーンはどこか誇らしげだった。ただルイスは、あの黒外套の人に会えなくなると思うと、少し寂しいような気もした。ポケットの糸くずをぎゅっと握りしめると、甘い鼓動がじんわりと胸に満ちていった。部屋に戻った後も、ルイスはしばらく、それを手放さずにいた。



◆12

「ボクね、ゆうべ、司令部の人見たよ」

 スープ皿のひよこ豆をつつきながら、ルイスが言った。ギルバートは表情こそさして変えなかったものの、視線は興味深げにルイスの方を向いていた。

「真っ黒なコートの、背の高ぁい人だったよ。何時頃だったかな。たしか、十一時ごろだったかな。ボクがサロンで端末使ってたらね、その人がすーっと来て、エレベーターの方にすーっと歩いて行ったんだ。それから、警備局の人と一緒にずぅっと探したんだけど、見つかんなかった」
「ああ、だからそんな顔か……」

 ギルバートはルイスの目元を彩る濃厚な青ぐまに視線を投じて、呆れたように言った。

「だって、しょうがないじゃん。昼間は端末空かないし、あれだけ探しても見つかんないし」

 ルイスは大きなあくびを一つ挟んで、頭を撫でた。撫でても撫でても、寝ぐせはかたくなに跳ねてくる。

「でも、あれ絶対司令部だよ。やっぱりボクらを監視してるんだよ」
「……わざわざ、みんなが寝静まってる夜中にか?」
「そう!」

 妙に自信ありげなルイスとは対照的に、ギルバートは納得いかない風で、首を傾げていた。

「つがいにでも会いに来たんじゃないか?」
「それはボクも思ったよ。でも、アイリーンが……警備部の人が言うには、入場願出てなかったんだって」

 ルイスは大きく息を吐きだして、椅子の背にもたれかかった。

「だからさあ、やっぱりさあ、ギル。やっぱり偉い人たちって、ボクらを監視してるんだよ。で、人気がなくなったら、こっそり中に入って色々調べて回ってるんだ」

 朝食をあらかた片付けた後、ふと思い出したようにギルバートが言った。

「そういえばルイス。お前、今度の接見会はどうするんだ?」
「どうするって?」

 ギルバートは声を低くした。

「一応、その……つがいなんだろ? ヨルシェ先生と」
「やめてよ。ボクは認めてないんだから」

 ヨルシェの名を聞いた途端、ルイスの顔つきは苦々しくなった。

「大体、あんなの事故だよ、事故。ノーカンだよ。ボクのダーリンは絶対他にいるんだから。あんな、最低最悪のクソ野郎じゃなくってさ!」
「ヨルシェ先生は、悪い人ではないと思うんだけどな……」
「ギル! まーだあんな奴の肩持つの!? いくらキミの主治医だったからってねえ、あんな奴の味方するんなら、ボク容赦しないから!」
「いや、そういうわけじゃないんだが……」

 ギルバートは両手を上げて、がるがる呻りながら詰め寄って来るルイスから距離を取った。お茶を濁すかのように、彼は言った。

「ええと、ほら……。接見会って、独身者でなきゃ参加できない決まりだろ? ルイスの場合は、どうなるのかと思ってな」
「ボクは出るよ。出ないわけないだろ。ボクのホントのダーリンに会えるチャンスなんだから。逃してたまるもんか」
「……マズいんじゃないか?」
「何がマズいのさ。ボク独身だよ。フリーだよ。誰とも結婚してないもん。なーんにも悪くない」

 ルイスはふと目を伏せた。

「それに行かなきゃ、ボク、ずっとアイツといなきゃならないんだもん。……そんなの、やだもん」

 ルイスは潤んできた目元を拭った。規律人間のギルバートもさすがに情にほだされて、それ以上は何も言えなかった。


【NEXT】