「限りなくクロに近いブルー(Ⅰ-5)」

◆13

 つつがなく時は過ぎた。――――しばらくの間は。

 仲良しのギルバートがヴィクターと出かけてしまって、暇をもてあましたルイスが、人でごった返すターミナルを退屈しのぎにぶらぶらしていた時分だった。

 威勢のよい掛け声によって人払いがなされている。何事かと、じっと目を向けていると、居住区を仕切っているシャッターが、ガラガラガラと開いていった。警備局や流通局の職員たちの注意深く見守る中、広く開いた空間をゆっくりと進んでくるのは、流通局の大型輸送車だった。運ばれているコンテナは、ゆうに三メートル四方はあろうか。それがいくつも連結された荷台が、クネクネと曲がりながら進んでゆくのであるから、なかなかに壮観である。輸送車のしっぽが通り過ぎると、再びシャッターは閉ざされた。

 納品らしく、輸送車はじりじりと貯蔵センターの方へ向かってゆく。ちょっと物珍しいので、ルイスはそのあとをちょこちょこついていった。
 荷下ろしをする職員たちは別段気を悪くする風でもなく、小首をかしげて作業を見つめるルイスにほほえましげな表情を向けた。別段とがめられることもなかったので、職員たちが折り畳みコンテナを台車に載せて、貯蔵センターの中へ消えていったあとも、ルイスは荷台の中を遠慮なく眺めまわした。透明なコンテナの内側に詰まっているのは、ほぼほぼ食料品のようだった。後は衣料品の詰まった段ボールと……奥の方には、ルイスの見たことのない奇妙なものが積んである。木の棒をAの字のように組んだようなものである。
 あれは何だろうかと、ルイスがまじまじ眺めていたところ、車の側面の方で、すたん、と足音がした。

「ねえねえ。奥にあるのって、なー……に」

 ひょっこり顔を出して、ルイスは流通局の職員に尋ねたつもりだった。だがそこにいたのは、保健局の悪魔だった。車両の荷台とまったく同じ色の鈍色の大布をひるがえし、ちょうど地に降り立ったところだった。絹を裂くような悲鳴が上がりかけたが、残念ながらヨルシェの方が早かった。布越しにもがもが文句を言うルイスに、ヨルシェは「静かに」と口元で指を立てた。

「騒がないでいただけると、ありがたいんだけどね」

 男は目を細めた。目の下の青あざは、もうずいぶんと引いていた。
 ルイスが苦しげにあえぐと、ヨルシェはすっと手を離した。ルイスは半ば酸欠になりかけていたが、それでもヨルシェを睨むのだけは諦めなかった。

「アナタ……また性懲りもなく……!」
「まあ、まあ、落ち着きたまえ。…………私だって、いつも君に会いに来てるわけじゃない。それに、そう暇なわけでもないのでね」

 辺りを素早くうかがいながらヨルシェは言った。青い制帽のつばを下げながら、彼はそそくさとルイスの前を歩き去ろうとした。ちょうどそのとき、ひるがえったコートの内側に、ちらっと青いカードが見えた。それで、ルイスは思い出した。先日、バードからもらったメールのことが、不意に脳裏をかすめたのだ。

 あれからバードからの連絡はない。目の前にいる彼は、もしかしたら、つがいを解消する方法を知っているかもしれないが、神出鬼没だ。ルイスは彼を呼び止めた。四度目の呼びかけで、ヨルシェは渋々足を止めた。

「ねえ、アナタ、お医者さん……なんだよね?」
「見ての通りさ。保健局でもないのにこの青い制服を着ている人間がいるものかね」
「ギルバートの先生……だよね」
「どのギルバート君か存じ上げないが、そんな名前の患者を受け持ったこともあったかもしれない」
「……本当に、本物のお医者さん?」

 ヨルシェは外衣の内側からネックストラップを引っ張り出して、その中に入った青いカードキーを見せた。

 診療部という文字の刻まれた横に、星が四つ並んでいた。上から二番目のBクラス。これより高い階級は部長や局長くらいなので、上級職員と呼んでも差し支えない。ベテラン中のベテランである。顔写真も彼のものに相違ない。

「お気に召したかな。では、私はこれで」

 ルイスは、再び歩き出そうとしたヨルシェのラボコートのすそを捕まえた。そのせいでヨルシェは、つんのめって、危うく転ぶところだった。

「なんだね、まったく!」
「あのね。アナタって、ロスパース病のこと、詳しい?」
「ああ、まあ、少なくとも君よりは、確実に詳しいね。もしかすると君のカラダのことなら、君よりもよほど詳しいかもしれない。でも、どうして急にロスパース病なんて……。ああ、そうか。ひょっとして君、私に会えなくて寂しかったのかい? へえ、そうかい。君がねえ!

 あ、そうだそうだ。そういえば、先日は熱烈なメールをいただいたのに、返事もせずに悪かったね。なにぶん忙しかったものでねえ。イヤ、別に意地悪をしたわけじゃないんだよ。内容があんまりにもひどいんで、むかっ腹が立って無視を決め込んだとか、あんまりにも可愛げがないので、ちょびっと禁断症状が出るまで放っておいてやろうとか、そんなことを考えていたわけじゃあないんだよ。ただ単に、私が優秀すぎて引っ張りだこなあまりに、メールを書く時間も取れなかったという、ただそれだけの話だ!

 まあでも、そういうことなら仕方ない。私のことが恋しくてたまらないあまりに、病気になってしまったというなら仕方ない。有能なこの私は非常に多忙な身だが、やはり本分は医者だからね。一患者たる君の心身の治療のために、近々時間を作ってあげよう。ただし、君が、例の取引を呑んでくれるのなら、だけどね!」

 人を喰ったような態度である。彼に訊ねごとのあるルイスは、つとめて腰を低くしようとしていたが、あまりの態度なので、つい、売り言葉に買い言葉で食ってかかってしまった。

「だぁーれがアナタなんかと! ボクはロスパース病なんかならないし、なりたくもないんだ! アナタのそばから離れたせいで死んじゃうなんてまっぴらごめんだよ! だから、そうなる前に、つがい関係を解消する方法、教えてよ! 知ってるんでしょ!」
「そんなものはないよ。あるとしたら“死”だけだ!」
「嘘だ! ほんとは知ってるくせに、言いたくないから隠してるんだろ!」
「嘘なものか。そんな方法があるのなら、私の方こそ教えてほしいくらいだね!」

 ヨルシェは力強く言い切った。が、ルイスの表情がだんだんしおれてきていることに気付くと、ヨルシェはふと思い出したかのように付け足した。

「ああ、いや、まてよ。そういえば、肉体関係のないつがいは、何か特別なことをしたら、つがいが解消できるとかいう話を、聞いたことがある。ええと、なんだったかな。……ああ、そうだ。確か、Ωがαにキスをしたら、だったかなあ」
「……絶対嘘だ」
「いやいや、本当も本当さ。しかし君が知らないのは無理もない。ごく最近の研究で、まだ実効性が確認されていないから、一般には通知されていないんだ。ここだけの話、というやつさ」

 ヨルシェは口角を上げて、黙り込んでしまったルイスを見下ろした。
 ルイスはといえば、真剣に秤にかけていた。目の前の、大嫌いな男と一回だけキスして縁を切るのと、しないでずっと一緒にいるのと、どちらが良いだろうかと。やがてルイスが意を決して、ヨルシェにかがむように言うと、ヨルシェは「えっ」と素っ頓狂な声を上げた。

「まさかと思うけど。……君、まさかと思うけど、その。……本当に、する気かい?」
「言っとくけど、ボクは、本当に、いやなんだからな!」
「だったら別にしなくて構わないよ。私は君に口づけて頂かなくても、一向に困らないから」

 ルイスは、逃げるように背を向けた男の、外衣のすそを再び引っ掴んだ。

「この先ずっとアナタの顔を見続けるのは、もっといやなんだ」

 そう言ったルイスの面持ちがあまりに神妙だったので、男は肩をすくめて、諦めたようにルイスに向き直った。

 彼を壁際へ引っ張っていったあと、ルイスは、ちらっと周りを見回した。幸か不幸か、流通局の職員たちはまだ戻らない。よし誰かが通りがかって、ルイスたちの方へ目を向けたとしても、遠巻きには、保健局の職員がΩの相談に乗っているように見えたことだろう。これから口づけを交わすと知って、顔を赤らめているのは当の二人ばかりである。

 ヨルシェはルイスのために、少しだけ腰を曲げてやった。が、まだルイスには高すぎる。ルイスは彼のために背のびなんてしてやる気はさらさらなかった。

「もっとかがんでよ」
「君がしたいと言い出したのだから、君が頑張るのが筋だと思うがね……」

 ヨルシェはため息をつきながらも、壁際に腰を下ろしてやった。
 ルイスは彼にかぶさった。背中にヨルシェの手が回ったのを感じた。ちょっと落ち着かなかったが、ともかく事を済まそうと、ヨルシェの唇を探した。しかしそれはルイスの方どころか床の方を向いていて、しかも何やらぶつぶつと呟きが漏れている。

「……ねえ」
「……でなくともつがいの存在それ自体に多幸感や安心感ストレス解消の効果があり精神衛生の保全と健康増進に好ましい影響を……」
「ねえってば!」

 ヨルシェは、はたと顔を上げた。ルイスの言わんとするところを察して、彼は「ああ、ごめんごめん。……さあ、どうぞ?」と、顎を上向けた。

 不健康に痩せた男の顔。筋の張った骨ばかりの顔。肌も髪も潤いという概念からは程遠く、生者というよりむしろ死者に近いような風貌。はっきり言って、いやな顔つきだ。中でも何がいやって、目が一番いやなのだ。落ちくぼんだ眼窩の奥で涼しげに光る、このいやぁな目つき。対象物を冷然と観察して、記録を取ろうとでもいうような、いやな目つき。こういう目でじっと見つめられるので、ルイスはどうにも落ち着かなかった。しかし、どうせ何をしても、落ち着きやしないのだ。ルイスは顔をしかめて、何度も、何度もためらった後、まっすぐこちらを向いた唇に、自分のそれをほんの一瞬だけ重ねた。

 ルイスは、そでで自身の唇をごしごし拭くと、さっきルイスの触れた唇に指を添えて、また何やら思案しているらしい男に向かって、やせ我慢全開の笑みを向けた。

「これで、おしまいだね。アナタみたいな最低人間と縁が切れてせいせいするよ」
「……ああ、うん。きっと百年後には絶縁できているんじゃないかな」
「さよなら!」
「ああ、またね。どうもご馳走さま」

 ルイスが、ヨルシェに担がれたことを悟ったのは、その数分後だった。彼は柳眉を跳ね上げて、詐欺師を追いかけたが、ヨルシェはとうに逃げきった後だった。



◆14

 部屋へ戻ったルイスは、ベッドへ身を沈めるやいなや、足をじたばたさせて悶えた。

「もう! なんなんだよあいつぅ! ムカつくー!」

 ルイスは、顔をシーツにおしつけた。一生懸命にシーツで唇を拭ってみたところで、新鮮な記憶がそうすぐに色あせるわけもない。感触も、未だに、ルイスの唇に残っている。

 あったかくて、ちょっと、やわらかかった。思い出したらトクンと胸が――――。

 ぽうっと頬を染めかけて、ルイスは我に返った。

「うそだよ! そんなのうそだよ! あんなやつのことなんか、ボク、なんとも思ってないもん! ……おもってないもん! ほんとだもん!」

 彼はぶんぶん首を振りながらわめいた。そんな最中、機械扉が開いて、一人の女性がひょっこり顔を出した。白いカードキーを手にした青服の職員は、部屋へ入ろうとしたのをやめて、廊下へ引っ込もうとした。

「取り込み中だったかしら。ごめんなさいね。また後にするわ」
「大丈夫だよ。ルームメイク? それともランドリー?」
「両方よ」

 ルイスは部屋の外から、彼女の仕事を見守った。清掃の手際のよさに知らず知らず見とれていたルイスだったが、ふと思い出したようにこう言った。

「そういえばさあ。カッツェって先々週、ボクの部屋の担当だった?」
「ええ。いつも金曜日はわたしよ。何か手落ちでもあったかしら」
「大ありだよ。ヨルシェに……青いコートの、背の高いブキミな男に、洗濯物の配達押し付けただろ。そのせいでボク、酷い目に遭ったんだからね」

 カッツェは作業の手をとめて、ルイスに向き直った。

「何の話?」
「とぼけないでよ。おかげで、ボクはあいつに部屋荒らされて、窃盗までされてるんだぞ」

 被害はキウイ一個だが、窃盗は窃盗である。ルイスは目を三角にして精いっぱい圧力をかけたが、カッツェはピンと来ていない様子。それでもルイスが食い下がると、彼女は眉間にしわを寄せ、不快感をあらわにした。

「だから、本当に何の話よ。わたし本当に知らないわ。だって、先週も先々週も、洗濯物はちゃんとわたしが届けたもの。人に頼んだりしてない。第一、頼んだとして、どうやって部屋のロック解除するのよ。わたしが総務局から貸与されたカードキーを、他人に、それも、よりにもよってヨルシェなんかに貸すと思って?」

 カッツェは首から下げた二つのカードケースをルイスの目の前に突き付けた。片方には総務局と印字された真っ白なカードキーが、もう片方は青色で、彼女の顔写真とともに清掃部の文字が刻まれていた。

「保健局のヨルシェのことなら知ってるわ。清掃部の事務所にも、顔写真付きで警告書が回ってきてるもの。そんな人にカードを貸したりしたらどうなるか、ちょっと考えたらわかるでしょう? もし、このカードを使ってあの人が何か悪さをしたら、カードキーの持ち主であるわたしだって減点されるのよ。カードリーダーのログには、このカードの記録が残るんだから。それに、貸したとして、ちゃんと返してくれる保証もない。いくら忙しくったって、そんなリスク冒せないわ」
「なにそれ。じゃあ、ヨルシェはどうやってボクの部屋に入ったっていうのさ」
「そんなの、わたしが知るわけないじゃない」

 カッツェは肩をすくめた。
 腕を組んで考えこみ始めたルイスに、彼女は言った。

「ねえ、そんなことより。おたくたち、いつになったら倉庫の整理終わらせてくれるのかしら。あれじゃ掃除道具も取れやしないわ」
「この間ギルたちが頑張ってたよ。きれいになってたと思うけど」
「冗談おっしゃい。あれのどこが、片付いてるですって? ガラクタまみれで足の踏み場もないじゃないの」
「ガラクタばっかりじゃないよ。まだ使えるのもある」
「でも、そういうのって、だましだまし使ってるんでしょう。使ってるうちに壊れちゃったら危ないわよ。保証期間過ぎたのは早くリサイクルにお出しなさいな。あんまり資源をため込んでると、財務局に全部持っていかれちゃうわよ……」

 カッツェが出て行ったあと、ルイスは難しい顔で扉を見つめた。彼の気がかりは、鍵のことだった。

 個室の機械扉を開錠できる鍵といえば、この部屋に紐づけされたルイスのキーと、清掃に入るカッツェが用いる、フロア・マスターキーくらいである。
 でも、あの日――ルイスがミラクルベリーを片手に帰宅したあの日、ヨルシェはすでに部屋の中にいた。カッツェが鍵を渡したのでないのなら、彼は一体どうやってルイスの部屋に忍びこんだのだろう?

 ベッドが空間の大部分を占める狭苦しいこの部屋には、十一階のようにダクトがあるわけでもない。ベッドの下は物入になっているけれども、それは上下にスライスされた引き出し形で、とても人が入れるような隙間ではない。

 ルイスはどうしても気になったので、その晩、ヨルシェに、メールを送ってみた。
 数日経って届いた返事には「魔法だよ」と一言だけあった。




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