「限りなくクロに近いブルー(Ⅰ-1)」

◆1

 流れ星が願いを叶えてくれる。今はなき惑星のそんな伝説は、数百年を経た今となっても、世代船「アヴァロン」の中でひそかに語り継がれていた。

 バルコニーは運よく無人だった。誰か他の者に奪われる前にと、ルイスは望遠鏡を占拠した。レンズを覗き込むと、まるい天窓の向こうに数多の星々の瞬くのが見えた。その星のどれかが落ちるのを息をひそめて待ちながら、ルイスは首の機械首輪に指を添えた。

 物心ついた時からずっと時間を共にしているこの首輪は、もはやルイスの体の一部だった。ルイス自身の生命活動や所在を感知する機能は、監視の不快感よりも見守られている安心感をルイスにもたらした。継ぎ目のない完全防水のいかつい構造は、その重みに慣れれば、うなじを狙うαからルイスを守ってくれる、心強い盾となった。

 この首輪を外す時が来るとしたら、それはきっと、運命の人と結ばれた時だ。

 自分のつがいとなるべき人は、きっと素敵な人に違いない。ルイスは目を閉じて、まぶたの裏にまだ見ぬ彼を思い描いた。

 Ωの自分のつがいだから、αであることは間違いない。きっと、背が高くて、とびっきりのハンサムだ。それに優しくて、包容力があって、頭がよくて、大人の魅力に満ちていて、おそらくはこの方舟「アヴァロン」の指揮を執る中央司令部の高級官僚か、それに準じる各局本部長クラスの超エリート。話し上手で、センスもよく、ありとあらゆる分野に通じていて、創造力があって……ともかく、理想的なスーパーダーリンに違いない。

 ルイスは目を再び開いた。ちかちか輝く星々の中に、瞬間、尾を引く一筋の光明。ルイスは鋭く息を吸い、そして叫んだ。

「運命の人に会えますように運命の人に会えますように運命の人に会えますようにッ!」

 ルイスの望みを聞き届けると、流れ星は宇宙のしじまに消えた。



◆2

 ひと仕事終えた達成感を胸に、ルイスは渡り廊下をスキップした。エレベーターへと続く無機質な橋も、夢と希望をフルチャージしたルイスにとっては、まるで虹の橋のようだ。

 ――夢。そう、運命の人と出会い、そして結ばれることこそが、ルイスの長年温めて来た夢だった。

 Ωの男子は、アヴァロンの上層にそびえる高塔――通称「空中楼閣」で政府の保護を十全に受けて悠々と暮らす、いわば上級市民である。超新星爆発によって宇宙空間内に広く照射された未知の宇宙線によって、女性の妊娠がまったく不可能になってしまってから、種の保存を一手に引き受けることとなったΩたちを保護するため、種々の施策が行われた。一般市民との居住区の隔離はその一つである。
 居住区内に半ば引きこもっているΩたちを揶揄して「空中牢獄の囚人」などと呼ぶ者も中にはいるが、物心ついた時からずっと空中楼閣で生きているルイスにそんな意識は全くない。

 そりゃあ確かにΩは、定められた居住区画の外へ、自分の意思で出ることは許されない。でも時々は、塔外の農園で軽作業をさせてもらえるし、接見会の折には緑豊かな城館で、ゆったりと過ごすこともできる。ルイス自身に虜囚の自覚は全くなかった。

 下々の世界が一体どんなものかルイスは知らないし、別段興味もない。ルイスにとっては、これまでも、そしてこれからも、空中楼閣が世界のすべてだ。幸福も、不幸も、何もかもが空中楼閣の内にある。
 ルイスにとっての幸福像は、談話室で、つがいとのあれやこれやを心からの笑顔で語る先輩たちの姿だった。運命の人と結ばれることが、どんなに幸福で満ち足りたものか。愛に満ちた日々がどんなに甘美で、うっとりするような薔薇色に包まれているか。彼らの話を聞けば聞くほど、期待はふくらんでいった。

 だからルイスは待っている。つぶらな青い瞳をきらきら輝かせて、自分を幸福へと導いてくれるただ一人のために、かたくなにうなじを守っている。

 ――次のチャンスは、来月だ。
 適齢期の健康なΩ男性は、強制参加の接見会。過保護なまでに健康と安全を保障されたΩにとっては、独身のαと出会える、唯一の機会だ。そして同時に、見知らぬ相手との肉体関係を強要される場でもある。

 女性が子を成せぬ今、Ωの男子の生殖活動は、もはや義務である。好むと好まざるとにかかわらず、そこで出会った誰かと体を重ねなければならない。逃げることはできない。逆らうこともできない。発信機を埋め込まれた首輪付きの体で、監視の厳しい空中牢獄で、宇宙を泳ぐこの巨大な密室の中で、一体どうやって逃げおおせよう?

 年に四度きりの逢瀬の場に、もしかしたら運命の相手がいるかも知れないという淡い希望が、ルイスの心の支えだった。



◆3

 次の接見会のことを考えているうちに、軽やかだった足取りが、いつしか重くなっているのに、ルイスはふと気がついた。

「ううん。ボクのダーリンは、きっと、来てくれるよ。お星様にお願いしたんだから……」

 そう言って自分を励ますと、ルイスは前を向いた。
 不安の九割は杞憂だ。取り越し苦労だ。あるかなきかのものだ。そんなものは、誰かに話してしまえばきれいさっぱり消えてしまうはずだ。早くサロンへ戻って、おまじないを教えてくれたギルバートに報告しよう。ルイスは帰りを急いだ。渡り廊下を抜けた後の三叉路を右へ曲がってまっすぐ行けば、居住区へと通じる白いエレベーターが待っている。

 分かれ道が見えてきた。それを右へ曲がって、十数秒ほど歩いた、その時だった。ルイスのすぐそばで、ピピー、という電子音がした。そして首元に、大きな解放感。違和感の正体を確かめるため、首に手を当てると、そこにあるはずのアレがない。一体どうして、と考える間もなく、何者かの手が、ルイスの口をふさいだ。

 首すじに痛みが走った。首根っこを何か鋭利なものに挟まれて、ぎりぎり締め上げられ、表皮を突き破られるのを感じた。ルイスは思わずのけぞった。痛みとともに、温かい何かが肌を濡らした。
 どちらかといえば気持ちが悪かったけれども、それはまるで愛撫されているかのようで、うなじには奇妙な快感があった。それでもルイスは懸命に快楽に抗い、腕を振った。確かな手ごたえとともに拘束が緩んだ。
 素早く拘束から逃れ、振り返ってみると、青い帽子を被った男が、腹部をおさえて苦しそうにうめいていた。ひどいやせぎすで、背を丸めていてもルイスを見下ろせるくらいには背が高く、年は二、三十代というところ。

 装いからして保健局の職員だろうとルイスは思った。青いラボコートのそでからのぞいた手には、Ω用の機械首輪がにぎられている。言わずもがな、ルイスの首輪だ。
 ずっとルイスのうなじを守っていた機械首輪は、ぱっくりと開いていた。運命のつがいに首根を噛んでもらうために、αたちからどんなに熱烈に口説かれても、決して外さずにいた首輪。それを、男は外した。首根をさするとピリッと痛みが走り、ぬるぬるした生あたたかい液体がルイスの手のひらにこびりついた。もしかして、噛まれた? ルイスはそう考えてぞっとしたけれど、大正解。男はルイスのうなじを噛んだのだ。

 ルイスはしばし呆然と立ち尽くしていた。目の前で男が何やら呟いていたが、何も耳に入らなかった。男に肩を叩かれて、ようやく、ルイスは我に返った。

「なに……したの?」
「君のうなじを、私が噛んだ」

 手の中でルイスの首輪をもてあそびながら、男は言った。

「驚かせてしまったなら申し訳ない。手荒な真似をするつもりはなかったのだが、これが一番手っ取り早いのでね。……ともかく、これで君と私はパートナーだ。不服かもしれないが、ちょっとの間よろしく頼むよ」
「パートナー……って?」
「もちろん、『つがい』ってことさ」

 つがい。つがい。つがい……。男の言葉が頭の中でループする。だんだんと、ルイスの脳みそが現状を把握しはじめた。と同時に、怒りとも絶望ともつかない、激しい感情の奔流がルイスの臓腑に満ち満ちていった。

 人類の祖先が狼であった頃のなごりで、Ωは上下関係に敏感だ。身体的にやや貧弱だが性的魅力に富む彼らは、強者の庇護を得ることで生き延びてきた。彼らは自分のうなじを噛んだ者を、自身の支配者と認識し、生涯服従する。噛んだ側も、Ωの分泌するフェロモンに依存する。そして噛んだ者と噛まれた者は、結婚という社会契約よりもはるかに強烈な、分かちがたい肉体の絆でもって結ばれる。方舟に生きる者なら知らないはずはない。だから、男は故意にやったのだ。ルイスに対して、一言の相談もなく、ただ己が独断によって、ルイスの人生を、一瞬にして縛りあげたのだ。なんという傲慢、なんという暴虐だろう。身勝手な男の蛮行によっておのが自由を奪われるルイスの悲痛やいかに。

 ああ、この痛みをどこへぶつけよう? 目の前の男がもたらしたのだから、やはり、そっくりそのままお返し申し上げるのが礼儀だろう。でも、一発では足りない。何百発殴っても、きっと気は収まらないだろうが、ともかく、まずは一発だ。ルイスは男の胸倉をつかむと、彼の顔面めがけてこぶしを振りぬいた。直撃した。当たり所が悪かったのか、鉤のように曲がった鼻の下から一筋血が垂れてきていた。鼻の下をぬぐって、青いそでの赤く染まったのに悠長に驚いている男を押し倒し、ルイスは間髪入れず二発目をお見舞いしようとした。だが、すんでのところで、二発目は男に腕で止められてしまった。

「まったく、暴力的だな。野蛮と言ってもいい。閉鎖空間に押し込められていると、こうも知能が退化するかね」

 その一言で、ますますルイスの頭に血が昇った。なんとしてもやっつけようと、再びこぶしを振り上げたが、力みすぎて男の鼻先をかすめただけだった。しびれを切らしたルイスは、男の頬に両手を添え、その顔を睨んだ。鋭利なガラス片のような鋭い目の下には早くも青あざができ、こめかみには脂汗がにじんでいたが、しかし憎たらしく口角を上げて、「お詫びにベーゼでもしてくれるのかな?」などと世迷言をほざく男の額に、ルイスは思い切り頭突きをかました。
 自分もくらくらしたが、相手はそれ以上にダメージを負っていた。目を回して、ぐったりした男に追い打ちをかけるべく、ルイスは胸倉を締め上げた。

「ぼ……暴力は、いけない。話し合おう」
「うるさい!」

 首を噛まれたことが、早くもルイスの肉体に変化をもたらしているのか、男の顔が視界に入っていると、奇妙な胸騒ぎがした。でも、ルイスの理想とは程遠い。こんな、顔を鼻血まみれにして、人生において最も重要ともいうべきつがい関係を、紳士的とは到底言えない行為によって一方的に締結するような男が、ルイスの運命であるわけがない。――そうであってはならないのだ。

「アンタみたいなのが……アンタみたいなのに……!」

 夢と希望を奪われ、怒りに燃える瞳にじわりと涙がにじんだ。流れ星を呪いながら、ルイスは男にとどめを刺した。


 心ゆくまで男をサンドバッグにした後、ルイスはやっと、罪人を警備局員に引き渡すべきだということに思い至った。辺りを見回すが、そばには緑の制服を着た職員は見当たらない。よくよく思い返してみると、この四十一階に着いてから、人っ子見ていない。奇妙に思いながらも、ルイスは、各階に備え付けられた通報ボタンを探しに行くことにした。

「ええっと……どこにあったっけな」

 ちょっと考えた後、エレベーターのそばで黄色と黒のしましま模様を見たなと、ルイスは思った。

 男がしっかりと床に伸びているのを確かめると、ルイスは急いで通報ボタンを押しに行った。エレベーターの向かい側の壁に、黄色と黒のしま模様のカバーがあった。それをめくって、緑のボタンを押したとたんに、けたたましい警報音が鳴り響いた。間もなく警備局の職員たちが駆けつけた。ルイスの手短な報告を受けて、一同は急ぎ現場へ駆け戻った。しかし、若干の血痕だけをそこに残して、男はすっかり消えていた。
 詳しい経緯を話しながら、ルイスも警備職員と一緒に辺りを捜索したが、とうとう男は見つからなかった。



【NEXT】


(20.7.9.追記)
×流れ星
○彗星