「限りなくクロに近いブルー(Ⅱ-1)」

◆1

 接見会まで二週間を切った。刻一刻と日が迫ってくるにつれて、Ωの第二居住区にも浮き足だったムードが漂いはじめた。会場へ持ち込む個人褒賞の申請をするために、サロンの電子端末へ並ぶΩは日増しに増えていった。そんな中、ルイスはひとり焦っていた。接見会の案内メールが、待てど暮らせど届かないのだ。

 しびれを切らしたルイスは、とうとう行政センターに乗り込んだ。

 こぎれいなオフィスでは白服の総務局職員が窓口業務に励んでいた。接見会の関係でか、カウンターの奥で事務処理を行う職員たちはいつにもまして忙しそうである。ふと、その中に知った顔を見つけたので、ルイスはカウンター越しに知人を呼んだ。首からB級職員の札を下げた狐目の美男は、ルイスを一瞥すると、苦虫を噛んだような渋面をつくった。

「お前か。そろそろ来ると思ってたぜ。……用事は、接見会のことか?」
「そうだよ。案内が届かないんだ。どうなってるの?」
「どうもこうも、お前。聞くところによるとヨルシェの野郎とつがいになったんだろ?」
「事故だもん!」

 レナードは突然の、そしてあまりにも大きな声量に眉をひそめた。ともかくも彼は、ルイスを窓口の椅子に座らせると、窓口担当の職員に替わってルイスの向かいに腰を下ろした。

「接見会には、非妊で、健康な、ど・く・し・ん・しゃは、原則、参加する、決まりだろ。ボク、ぜーんぶ該当するのに、案内届いてないんですけど。これって、役所の不備じゃないんですか」
「……確かに、婚姻届は出てねえけど」

 レナードは備え付けの電子端末でルイスの戸籍を確認した。だが、顔つきは相変わらず苦々しい。

「でもなあ……」
「なんで渋るんだよ。役人は役人らしくお役所仕事してればいいじゃないか」
「お前がΩじゃなかったらそうしてらァ」

 端末につながったキーボードを何やら操作しながら、レナードは言った。

「事情はどうあれ、つがいのいる奴を接見会には出させられねえ。つがいでない相手との肉体的接触は、Ωの健康に悪影響を与えるおそれがある。確かに婚姻届は出てねえが、提出待ちにしといてやるから、今回はひとまず見送って……」
「冗談じゃないよ!」

 ルイスはカウンターに両手を叩きつけた。

「ボク、あいつとは顔を合わせたくもないんだ。結婚なんて絶対にしない。こどもだって作らない。……そうだよ。接見会行かせてくれないっていうなら、ボク一生こども産まない!」

 ルイスはキッパリそう言い切って、つんっとそっぽを向いた。

「……本気で言ってんのか?」
「そうだよ」
「出産の義務を放棄するってことが、どういうことかわかって言ってんのか」
「わかってるよ!」

 と、勢いに任せて言ってはみたものの、ルイスは実際よくはわかっていなかった。ただ、市民点が大いに減点されるであろうことは、薄ぼんやりと理解していた。しかしそれでも、いつかヨルシェの言っていたように、ヒトとして生きる権利を剥奪され、言葉にするのもおぞましいほどの憂き目にあったとしても、望まぬパートナーと生涯をともにするよりは、その方がまだマシな気がしていた。

 レナードは沈黙するルイスを、細い目をさらに細くしてじっと見つめた。数分が経った。ルイスは発言を撤回するつもりはなかった。やがてレナードは長い長い溜息をつくと、大量のチェック項目を有する書類をルイスに渡した。

「そこまで言うんなら、健康診断だけ、ダメ元で受けてみ。ダメ元でな。――ただし、一項目でも問題があったら、参加は認めねえからな」


 数日後、ルイスは診療所の扉を叩いた。椅子にかけた青服の職員は、四十も半ばを過ぎたくらいだろうか。こぎれいに整えられた髪にはいくらか白いのが混じっていたが、物腰には年相応の威厳があり、信頼できる雰囲気だった。まともな医師と久しぶりに接したルイスは、ヨルシェが異端であることをしみじみと実感した。世間話程度にヨルシェの名を出すと、彼も疲れた顔をした。

 さて、健康診断の結果からいうと、ルイスは健康という上にも健康だった。無事に接見会の案内も届き、どうにかαたちとの面会は叶いそうである。ルイスは安堵した。と同時に、ほんの少しだけ、チクリと胸が痛んだのを感じた。

 ルイスは首をかしげた。体にはどこにも異常はないはずだ。しかしなぜか、胸の奥がチクチクする。ごく些細なものだったので、無視しようとしたけれど、どうも気になって仕方がない。

 ルイスはざわつく心を落ち着かせるため、ポケットに手を入れた。中には、例の黒い端切れ――黒外套の切れ端をおさめた小袋があった。触れているとどうにも安心するので持ち歩いていたのだが、なにぶん小さな布切れである。何度か失くしてしまって大騒ぎをしたので、見かねたギルバートが常用薬を入れるのに使っていた袋を貸してくれたのだ。

 袋越しにも、そこに黒い布切れがあると思うと、ルイスの胸はときめいた。ルイスが接見会にこだわるのは、この布切れが原因の一端でもあった。

 いつか夜闇の中で見た黒外套の姿を思い出すと、ルイスの頬は熱くなった。その人の顔や、人となりや、自分に話しかけるその口ぶりが、どんなに素敵かを想像すると、幸せで胸がいっぱいになった。

 しかしルイスとあの人とを結ぶ道は、第二居住区内にはもはやない。抜け道のダクトは封鎖されてしまった。先日のヨルシェの侵入以来、居住区の警備は前にもいやまして厳重になり、最近は当のヨルシェですら見かけない。もしかしたらあの人が居住区へ来ることは二度とないかもしれない。

 だから、自分が会いに行くしかないのだ。ルイスは手の中のお守りをぎゅっと握りしめた。

 Ωの居住区外へ自由に出ることを許されない虜囚じみた身の上のルイスだが、唯一、αと公的に出会える場所がある。それこそが、Ωの発情時期にあわせて開かれる、三か月に一度の接見会なのである。

 そして黒い服は司令部職員の制服だ。およそ二万八千の人間を乗せて宇宙を游ぐ方舟「アヴァロン」の、その上層部には、αの中でもとびきり優秀な者だけが配属されるという話だ。黒い制服を身にまとえるほどの人物なら、その仕事ぶりは推して知るべし。アヴァロン内でもトップクラスの市民点とともに、名誉市民のほまれを得て、当然、接見会にも出てくるだろう。彼が、ルイスと同じように、独身ならば。

 つがいがいたらどうしよう、とちょっぴり不安になったけれど、ルイスはすぐに首を振った。

 つがいがいるなら入場願を出して、堂々と居住区内に出入りすればいいのだ。ヴィクターがギルバートに会うためにそうしているように。きっとそれができないから、こっそり忍び込んでいるのだ。人目を忍ぶ隠密行動こそが、彼の独身を裏付ける確固とした証拠だ。

 それにルイスは、理屈ではなく、どこか本能的な部分で確信していた。彼こそが、あの黒い外套の人物こそが、自分とつがいになるべきただ一人のαであるということを。


   *


◆2

 多目的室の、座り心地の悪いスツールに腰を落ち着けて早二時間。退屈きわまりない説明会も、もうじきまとめに入るところだ。真っ白な衣装を身にまとった狐目の美人講師は、流麗な文字の書かれた電子黒板を背に振り返った。

「さて、ここまでのところで、なにかわからないことがある奴いるか?」

 特に質問も挙がらなかったので、講師は続きを話し始めた。
 ルイスは頬杖をつきながら、電子端末のスクリーンを指でスライドさせて、接見会のしおりの中身をぱらぱらとめくった。講師の言葉が、右から左へ流れていく。

「今度お前らが行くことになるのは、東の春宵館。四館の中で最も優艶な洋館だ。
 一階が共用スペース、で二階と三階がプライベートスペース。部屋は二人用だが、旦那方の鍵がねえと中に入れねえから、遅くとも日付が変わるまでには薔薇を頂戴して、部屋に入れてもらえよ。ヒートが始まった時、共用スペースでぶらぶらしてちゃ旦那方のご迷惑になるし、自分も困ることになるからな」

 何人かのΩは頷きながら熱心に講義を聞いている。きっと今度、接見会デビューする者たちだろう。大半の物慣れたΩにとっては、こうした説明会が形式的なものであることを理解していたので、机に突っ伏したり、まったく無関係の作業をしたり、隣近所との密談に花を咲かせたりして、一生懸命に時間をつぶしている。

「前にも説明した通り、薔薇の花を頂戴したら、その相手が、お前らの当面の旦那になる。知っての通り、接見会にご出席される旦那方は選ばれし名誉市民で、紳士中の紳士、αの中のαといった立派なお歴々ばかりだ。当然、各局の偉い氏がいらっしゃる可能性も、十二分にあり得る。
 妊娠検査薬の結果が陽性になるまで、お前らは個室で旦那と寝食を共にすることになるが…………いいか、お前ら。やることやって居住区に戻るまでが接見会だ。お前らの振舞いは、俺たち総務局全体のスコアにも響くってことを忘れるな。旦那方の前では徹底的に猫かぶれ。戻って来る時まで、絶対に、化けの皮脱ぐんじゃねえぞ。わかったな」

 ふぬけた「ウィース」の合唱を聞くと、狐目の美男は続きを話し始めた。

「それから、滅多にねえことだが、いちどきに何人もの旦那方から薔薇を頂戴するなんてことになったら、どなたか一人に心を定めて、あとは丁重にお断りしろよ。……わかったか、ルイス」
「なんでボクだけ名指しなんだよ」
「お前にゃ前科があるからだ」
「だからぁ、あれはαが勝手にやったんだって。ボクのせいじゃないもん」

 ――一年前の話だ。接見会に出席したルイスに、求愛が集中した。だが、ルイスは一人に決めかねた。その時は、百歩譲ってご一緒してもいいと思える相手が、いなかったのだ。だからルイスは、気のあるそぶりを見せながらも、全員をはぐらかしにはぐらかし続けた。不真面目な態度に見えたかもしれない。それでもルイスは、ルイスなりにがんばっていたのだ。一生懸命に、外れくじの中から、比較的悪くないものを選ぼうとしていた。しかし、そうこうしている間に、あぶれたΩの一人が、運悪くヒートに入ってしまった。それにαたちがあてられて大惨事になり、結局、その回の接見会は中止になったのだった。

「あれは今思いだしても、前代未聞の椿事だぜ。……はあ。またお前が何かしでかしやしねえかと、もう今から不安しかねえよ。できることなら、ずっと謹慎しててもらいてえんだけどな」
「えっ? レナード花丸くれたじゃん! 今更取り消しなんて言わないでよね!」
「レナード先生だ、っつってんだろ。何度言えばわかんだ、バカ生徒」

 立ち上がったルイスの額めがけて、黒板消しが飛んできた。額にクリーンヒット。わめくルイスを軽くあしらって、狐目の美男は講義をしめくくった。

「ともかく皆の衆は、春宵館では節度を守って、清く正しく生活するよーに」


   *****



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