「限りなくクロに近いブルー(Ⅱ-2)」

◆3

 色とりどりのプリムラやチューリップの咲き乱れる花畑の中を、石畳の道が曲がりくねりながら伸びていた。小高い丘の上には白亜の城館。

 住み慣れた機械仕掛けの高楼とは、似ても似つかぬ世界である。歴史書の挿絵の中でしかお目にかかれないようなこんな場所へ来ることも、運命の人のことを想うのと同じくらい、ルイスは楽しみだった。

 今度という今度こそは素敵な人をつかまえて、絶対に幸せになってやるんだ。アイツの鼻を明かすためにも。意地悪く笑うヨルシェの顔を空想の中でぶん殴って、ルイスは堂々とそびえ立つ城館をきっと見すえた。

 扉は開いていた。大きく開け放たれた両開きの木扉をくぐると、顔も映るほど磨き抜かれた大理石の床がルイスを出迎えた。玄関ホールへ出ると、何人かの紳士がソファに足を組んで談笑していた。いかにもαらしい、立派なたたずまいの紳士たちである。彼らは知的な会話に興じながらも、順々に館へ入って来るめかし込んだΩたちを、それとなく品定めしているようだった。この中の誰か一人をいずれ選ばなければならないのだ、ということを念頭に、ルイスもまた、彼らの本性を慎重に見定めようとした。だが、そのうちの一人に目を留めた時、ルイスはぎくりとした。

 目を合わすと、紳士は立ち上がり、つかつかと近づいて来た。ルイスは慌てて逃げたけれど、正面玄関へ出る前に捕まってしまった。

「久しぶりですね」

 ルイスの手首をつかんだ男は微笑んでいた。口元だけは。
 男は仕立ての良いシャンパンゴールドの三つ揃えを着こなしていた。胸元には、鮮やかな黄色い薔薇の花。

「またお目に掛かれる日を楽しみにしていました」

 オールバックの黒髪も、整った精悍な顔立ちも、暗緑色の鋭い瞳も、まだルイスの記憶に色濃く残っている。昨年の接見会で、ルイスを熱心にかき口説いてきたαの一人だった。名前は、たしか、ソルティ=ドレッド。財務局の重鎮と聞いている。と同時に、ルイスはこうも伝え聞いている。――――暴君、と。

 彼と同室になって、無傷で戻って来た者はいない。見目はいい。人当たりもいい。気前もいい。でも我が身がかわいいなら、あの男だけはやめておけ。無数のあざとミミズ腫れをみやげに接見会から帰った先輩Ωは憎々しげにそう語った。

 そう聞いていたから、ルイスは去年の接見会でも、彼の求愛には応えなかった。しかしソルティは、空中楼閣で最も可憐なΩと名高いルイスにご執心らしく、しつこく付きまとってきた。下手に断って角が立っても面倒なので、つかず離れずの距離を保って日付の変わる時まで粘っていたら、大広間でとあるオメガが発情して大惨事になったということは、先日語った。そのフェロモンに当てられて最も大きな被害をこうむったαが、ルイスの目の前のソルティ=ドレッドである。

 別に、ルイスの方は、興味のないαが誰とどうなろうが知ったこっちゃない。まったくの他人事だ。けれど先方は、そうは思ってはいないらしい。ソルティにねじ上げられ、壁に押し付けられた手首が悲鳴を上げていた。

「……っ、ボクのことなんて、すっかりお忘れだと思っていました」
「まさかまさか。私はこの一年の間、片時も、貴方のことを忘れたことなど、ありませんでしたよ」

 相変わらず、目は笑っていない。はたから聞けば熱烈な口説き文句だが、その言葉の裏に深い情念がこもっているのは明らかだ。目は口ほどにものを言う、とはよく言うけれど、その眼光の言葉を代弁するなら、こんなところだろう。「貴様、よくもこの俺に恥をかかせてくれたな」……。

「私がどれほど貴方を想っていたか、今すぐにでも、お話したい。それに、貴方を他の者に取られたくありませんので……」

 操る言葉こそ甘美だが、目つきは完全に殺し屋のそれだ。ソルティが胸元の黄色い薔薇に手を伸ばした。あれを受け取ったら、終わりだ。ルイスは薔薇を抜こうとする白手袋の上に、そっと自分の手を乗せた。

「ほ……他の人と、もう少しお話してから考えても、いいですか? まだ来たばかりですし……他の人に、不公平ですから」
「……もちろん。ご自由に?」

 ソルティはルイスをようやく解放した。赤くなった手首をなでさするルイスを見下ろす男は、妙に落ち着いていて、不思議と自信ありげだった。


   *


◆4

 ルイスは急いで、パートナーを捕まえようと動いた。手始めに、サロンにたむろしている紳士に狙いを定めた。深紫色のスーツをまとった、三十代くらいのスマートな青年である。

 彼の向かいのソファに、ルイスは腰を下ろした。そして彼が視線を向けたのを見計らって、愛想よく微笑んだ。必殺のエンジェリックスマイルだ。これで落ちなかったαはいない。しかし紳士は、軽く会釈をすると、立ち上がってよそへ行ってしまった。

 ルイスは奇妙に思った。自分の微笑みが効果的でなかったのが腑に落ちないというのではなくて、接見会に来るαは、もっと社交に熱心な生き物だと思っていたからだ。なぜって、αもΩと同じように、よりよいパートナーを探さなくてはならないのだから。首をかしげたルイスだったが、シャイなのだろうと結論づけ、気を取り直して他を探した。

 しかしどうしたわけか、他の者も、みな、紫の紳士と同じ反応を示した。ルイスが近寄ると、αたちはそそくさと逃げていく。あいまいな笑顔と、隙のない社交辞令で――不思議なことに、みながみな、そうだった。

 今までにないことだった。いつもなら、黙っていてもαの方からかき口説いてくるくらいだというのに。どういうことだろうとルイスは考えたけれど、答えは見つからない。自分の装いや振舞いがおかしいのかと疑い始めたルイスは、その場でくるっと回ってみた。しかし、別段おかしいところはない。反対回りにもくるっとしてみたけれど、やはり装いについては、別段問題はなさそうである。

 首をかしげていると、階段の上から忍び笑いが降ってきた。ソルティだった。彼は白い手袋を口元にあてて、目を細めていた。ずっと様子を見られていたことを悟ると、ルイスは気恥ずかしくなった。
 彼は階段を下りて、ルイスに近づいてこようとした。また捕まってしまう前に、ルイスは退散した。

 外庭をしばらく走ったあと、ルイスは振り返ってみた。ソルティの姿はない。ルイスはほっと胸をなでおろし、近くのベンチに腰を落ち着けた。

 今回、春宵館を訪れたΩは十三人だ。だからαも同じ数。つまり十三人のαが春宵館を訪れている。ソルティを除いて、十一人のαには避けられてしまったけれど、あとひとり、顔を合わせていないのが、きっと、どこかにいるはずだ。

 ルイスはポケットに手を入れてみた。お守りがある。ぎゅっと握りしめていると、とても心が安らいだ。うなじを守ってくれなかった機械首輪よりも、今ではずっと頼もしい。

 彼は祈るように、両手でお守りを包み込んだ。あと一人。そう、あと一人いるのだ。この接見会の場に、この春宵館に、自分の運命かもしれない人は、あと一人残っている。それはひょっとしたら、この端切れをルイスに残した、あの黒外套の人かもしれない。姿を思い起こすだけで心ときめく運命の人かも――などというのは、あまりにも都合の良い夢物語である。だが、夢を見るのはルイスの自由だ。

 ルイスは屋敷をかけずり回った。システム上、午後六時までは入室できない客室を除き、館内は一通り見て回った。けれど、一階にも二階にも、三階にもいない。その途中でαに遭遇することもあったが、やはりみな、けんもほろろの対応であったことは言うまでもない。

 あと確かめていないところといえば、屋敷の外くらいだ。

 花の咲き乱れる外庭を、ルイスは道なりに歩いてみた。花園はいつしかサクラ並木に変わった。さらにしばらく行くと、底も見通せるほど水の澄んだ大池が見えた。清麗な水面には薄桃色の花弁が泳いでいる。水辺ではスミレの花が揺れ、白や紫の花を鈴なりに咲かせたライラックがうっとりするような芳香を漂わせていた。

 散歩道はそのあたりで終わっていた。歩いた距離でいえば大したことはないし、別段誰かとすれ違ったこともない。それほど広くはない敷地内をここまで歩き回って、一向出会えないのが不思議なくらいだった。

 首をかしげたルイスの目に、ふと、とあるものが飛び込んできた。
 接見会の会場と、立ち入り禁止となっている緑化区域とを分かつ金網のフェンスだ。てっぺんに有刺鉄線を巡らした金柵を目でたどってゆくと、立ち入り禁止の札の貼り付けられた扉が見えた。扉は閂状で、鍵がなくても開けることができる形になっている。

「……まさかね」

 ルイスは、いったんは禁じられた場所に背を向けた。しかし、しばらくして、また同じ場所へ戻ってきた。再び館の内外を見て回ってたけれど、十三人目の影も形も見えない。こうなると、もうほかには考えられなかった。

 フェンスの向こうは林だった。ルイスはあたりを見回した。別段、人目はないように見えた。彼はこっそり閂をはずして、閉鎖された区画へ立ち入った。

 林の中をしばらく歩いてみると、少し開けたところへ出た。小ぢんまりとした丸木小屋が建っている。その扉に、鍵は、かかっていなかった。


   *


◆5

 古びた木扉を押し開いて、ルイスはおそるおそる、中へ入ってみた。狭い小屋であったので、一目で部屋の全体を見渡せた。すっきりとした木のデスクには、黒いものが覆いかぶさっていた。

 ルイスはドキリとした。――黒い外套の人間が、机に突っ伏しているのだ。ルイスは深呼吸を挟んで、ゆっくりと彼へ近づいた。背後へ立っても反応がないので、ルイスは大胆にも、顔をのぞきこんだ。鼻筋の通った、きれいな顔立ちの青年だった。彼のまぶたは閉じていた。唇からは穏やかな寝息。どうやらお休み中のようだ。

 机の上には二、三の電子端末がスタンドに立てかけてある。端末もスリープモードに入っているのか、モニタは真っ黒だった。

 一体、なにを見ていたのだろう。ルイスは、そうっとモニタに指を伸ばした。

 画面が点いた。けれどもルイスはがっかりした。端末はパスワードの入力を求めている。全部の端末をつつきまわしてみたけれど、どれもみなガードが固い。司令部の人間が、いったい、こんな場所で何をしていたのか。気になるルイスだけれど、どうもその謎は、今のところは解き明かせそうにない。

 と、その時だった。黒外套の青年がうなった。ルイスはぎくっとして、手をひっこめた。
 長いまつげが揺れて、ゆっくりと青年のまぶたが開いた。いまだ夢心地の瞳がルイスをとらえた。

「…………アヴァロンにも、天使がいたんだ」

 甘い声で呟きながら、青年は恍惚としたまなざしをルイスの瞳に注いだ。黒い袖がゆっくりルイスの方へ伸びてきた。あと二ミリか三ミリほどで、青年の指が頬へ触れるかといったところで、電子端末から流れた電子音が、二人を現実に引き戻した。

 青年は慣れた手つきでパスワードを入力して、鳴り響く端末を止めた。すっかり目覚めたらしく、ぼんやりしていた青年の双眸には、今や凛とした光が宿っていた。彼はすっくと立ち上がって、ルイスに尋ねた。

「君、Ωだよね。どうしてここにいるの?」
「どうしてって……ボクは、接見会で……」
「そうじゃないよ。ここは立ち入り禁止区域だ」

 青年は端末を操作して、いつかルイスの見た「接見会のしおり」を開き、春宵館の地図を見せた。地図の赤く塗りつぶされたゾーンを示しながら、青年が言った。
 
「接見会の参加者には、説明会で事前に通知されているはずだ。それに、立ち入り禁止の札があっただろう?」
「あった、けど。でも、αが一人足りないから、ボク、ずっと探してたんだ」
「ああ……そうか。そうだね。ごめんね」

 青年は荷物をまとめると、小屋を出た。ルイスもそのあとを追った。

「アナタも参加者なの?」
「そうだよ」

 ルイスは彼の胸ポケットへ目を向けた。だが、そこにあるはずの薔薇はない。彼は苦笑してルイスに言った。

「悪いけど、僕のはもう渡しちゃったんだ」
「……そうなんだ」

 ルイスはため息をついた。けれども彼のおかげで、ルイスは随分と接見会気分を味わうことができた。なにせ、春宵館へ来て以来、まともに誰かと喋ったのはソルティ以来だ。ルイスは白亜の城館へ戻るまで、彼とのお喋りと散歩を楽しんだ。

 サクラ並木をのんびり歩きながら、青年が尋ねた。

「ねえ、君。名前は?」
「ルイス。ルイス=レイクサイド」
「そう。ルイス。一つ相談があるんだけど、聞いてくれるかな」
「なに?」
「君がこっそりフェンスの戸を開けて、立入禁止区域に忍び込んだこと、黙っておいてあげる。……その代わり君も、僕があそこで眠っていたこと、内緒にしておいてくれるかな」

 ルイスがうなずくと、青年――ミト=マロリーは微笑んだ。

「約束だよ」





【NEXT】


……「接見会」よりいい言葉、絶対何か他にあると思うんですよね。身分の高い人間への謁見というよりお見合いパーティーみたいな感じになってるのがなんとも羊頭狗肉でモゾモゾするというか……とりあえず何か思いついたら修正します。すみません。