小説における性的表現の限度について

 小説によるわいせつ物頒布罪って現在も適用されるんだろうか。

 まあ要はネット小説でどの程度までの表現なら許されるのか、という問題が、供給側としては非常に気になるわけだが。

 とりあえず、軽く調べて考えてみた。

◆「わいせつ」の三要件/「チャタレー事件」最高裁判決


1.徒に性欲を刺激・興奮させること
2.普通人の正常な性的羞恥心を害すること
3.善良な性的道義観念に反すること

(wikipedia「わいせつ物頒布等の罪(2018/06/05,2:30)」より引用)

 

◆「四畳半襖の下張事件」の最高裁判決で追加されたわいせつの条件

1.当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法
2.右描写叙述の文書全体に占める比重
3.文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性
4.文書の構成や展開
5.芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、
6.これらの観点から該文書を全体としてみたときに、主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否か

(wikipedia『四畳半襖の下張事件(2018/06/05,2:50)』より引用)

 

◇以下所感
 国内で摘発された小説は、直近だと「四畳半襖の下張(判決1980)」かな? 写真や映像、漫画なんかは2000年入ってからもちょこちょこ摘発されてるけど、小説はそれ以降の事例はなく緩和傾向ってとこか? ただ法そのものは残ってるから、可能性としてはなくもないってところかね

 んーでも視覚芸術作品でも、未成年者や閲覧を望まない人々の目に触れにくくなるような工夫をしたうえで、成年同士が互いに承諾を得てブツを取引する分には問題はないのでは? とは個人的には思うけど 強制わいせつのように受け手の意志を無視してブツをばら撒くような行為であれば当然問題だけど、分別のある大人同士が納得した上でやり取りする分には、そこまで目くじら立てる必要もないのでは?

 社会秩序の維持ももちろん大切だけど、多くの人々が目を背けるような事柄、とりわけ人間の精神の根底に迫るような事柄――たとえば異常性欲だとか異常心理だとか――についてつまびらかに描写するという行為はいわば人間の精神の解剖であって、それは医学の発展のために人体を解剖することと同様に、文化の発展のために意義のあることだと思うんだよな 精神疾患が蔓延しているストレス社会ではなおさら 反社会的だからといって弾圧するのではなく、ある程度自由に表現させ、その創造物を分析することで見出せる何かもあるんじゃないかい?

 ま、それはさておき とりあえず表現としては、芸術性が官能性を上回っていればセーフかな? と自分は思う 『チャタレイ夫人の恋人』も現在は完訳出てて多少緩和してるみたいなんで、過去の摘発作品を超えない程度ならまあ大丈夫なのかなー…とは思うが、時代の差があるからなー 安全策を取るなら、多少ぼやかして書いとく方がいいのかも



 …しかし官能小説は? 官能小説は読者に性的な刺激を与えることを目的としたものだが、これはわいせつ物には該当しないのか?

 …まあ仮にわいせつ物に該当したとしても、検閲が禁止された昨今じゃ取り締まるのも困難か それに主観的な性的感情を刺激するためには作品世界への没入が不可欠だが、それは卓抜した文章技術なしには成し得ない つまり客観的に見てエロティックであると判断せしめるほどの文章は書こうと思っておいそれと書けるようなものでもない そう考えると文章自体にある程度の芸術性が認められる? のか?

 とはいえ官能小説に関してはグレーゾーンみたいな気もするんだよなあ 摘発されていないからといって今後も安全とは限らないし、やっぱりレトリックを駆使しておくに越したことはないだろうな


2020.1.22追記 わが国で最後に摘発されたのは富島健夫『初夜の海』(1978)でしたね。(『四畳半襖の下張』は摘発1973年)
 失礼しました。