「限りなくクロに近いブルー(Ⅱ-4)」

◆8

 ミトと別れて以降は、またパートナー探しに奔走するルイスだったが、結果は芳しくなかった。

 αを見つけたと思えば、もれなくΩがくっついている。しかも悪いことにそのΩたちは、αの薔薇で髪や衣装を飾っていた。

 このままでは本格的にソルティの薔薇を受け取るよりほかになくなりそうである。

 人の波に乗ってルイスも食堂へ向かってみたけれど、ソルティがいたので、踵を返した。やむなく食事を犠牲にし、どうにかフリーのαを発見できたのは、それから十数分後のことだった。

 紫色の薔薇を片手にぶらぶら歩いていた青年は、ルイスに気づくと、軽く会釈をして脇を通り過ぎた。

「ちょっと待って」

 深紫色のスーツの紳士は、いったん足を止めかけたが、やはりすたすた歩いて行った。

「ねえ、待って! どうして口も利いてくれないの?」

 ルイスが涙ながらにすがりつくと、紫の紳士は決まり悪げな顔をしながらも、ルイスに向かい合った。

 彼は目線でルイスに、小脇の部屋へ入るよう促した。
 無人のサロンを通り過ぎて、さらにその奥の給湯室まで来ると、紳士はようやく口を開いた。

「きみは、売約済みだって聞いてるよ」
「えっ?」

 紳士は頭をかいて、言いにくそうにしながらも先を続けた。

「『保健局の悪魔』の餌食になったって、Ωの子たちが話してた」

 ルイスはぎくっとした。--どうやら居住区を離れてさえ、ヨルシェの呪縛からは逃れられないらしい。

「……事故だよ」
「事故でもなんでも、噛まれたのは本当なんだろ?」
「……………………噛まれたよ。でも、だからって、みんなしてボクのこと無視して、いじわるすることないじゃないか!」

 食ってかかろうとするルイスをなだめて、紳士は言った。

「いじわるしてるわけじゃない。きみのためでもある」

 ルイスは眉をひそめた。

「どういうこと?」
「死亡報告があるんだ」
「……なんの?」
「きみのように、すでにパートナーを持つΩのだよ」

 紳士はため息をつき、そして続けた。

「おれは技術畑の人間だから詳しいことは知らないけど、パートナー以外のαとの接触が、Ωにはどうもよくないらしい。……五、六年くらい前だっけかな。何とかいう男のΩが倒れて病院に運び込まれたとかってニュースになったの覚えてる。しかも不幸なことにそのΩは帰らぬ人となった」
「……もしかして、ロスパース病ってやつ?」
「ああ、そう、それそれ。よく知ってるね」

 紫の紳士は目を細めた。

「それなら大丈夫だよ。ボク、あいつに会わない方が調子いいくらいなんだ。今だって、すっごく元気だし、ちゃんと許可も下りてるから心配ないよ」
「……きみはそうでも、おれたちはどうかな」

 紳士は薔薇を手の中でくるくる回しながら言った。

「調べによるとその事件、既婚のΩに横恋慕してた居住区のα職員が暴行したとかいう話で、当局はその職員を逮捕して即刻下船させた。……即刻だ。釈明の機会も与えられず、宇宙のただなかに追放……とどのつまり、死刑になった。

 ……わかる? 要は見せしめだよ。男のΩはαより尊いんだってことを知らしめるために、上の連中はそういうことをやるんだ。

 きみの事情を知らずにいたならまだしも。お手つきとわかった上でちょっかいを出したとなれば、おれだって、下手すりゃ……」

 紳士は、紫色の薔薇をルイスの顔に近づけた。華やかな香りがルイスの鼻腔をくすぐった。彼は薔薇の花でルイスの唇をそっとなぞって、目を細めた。

「まあ、そういうのもスリリングで悪くはないけどね。……ドレッドがいなけりゃ、挑戦してるところだ」

 紳士は肩をすくめて、紫の薔薇を胸ポケットにしまった。

「あいつ、毎度毎度『興味ないから』なんて言ってスカしてたくせに、どうも今度は本気らしい。財務調整の話まで持ち出してきやがった」
「財務調整?」
「ああ……そうか。オメガには関係ない話か」

 ルイスは少しむっとしたけれど、黙って続きを聞いた。

「財務局の連中の専売特許だよ。名目こそ資源の確認だけど、実質的には富の搾取だ。お上の命令を盾にして、部署のプライズを軒並み持っていきやがる」
「プライズだったらボクらの居住区にだってあるよ。ちゃんと市民点で交換して、みんなで仲良く使ってる」
「だったらわかるだろ? それがおれだけのものじゃないってことはさ」

 紳士は紫色の花弁を一枚ちぎって、そっとルイスの頭に乗せた。

「悪いね、美少年。もっと早くに出会いたかったよ」

 彼は背中越しに手をひらひら振って、給湯室を出て行った。




◆9

 省電力モードに移行した天球の淡い光が、外庭をぼんやりと照らしていた。植え込みの陰で膝をかかえて縮こまるルイスの肩を、ふと、誰かがトントンとたたいた。ルイスはぎくっとして、膝に顔をうずめた。

「こんなところで何してるの。もうすぐ日付変わっちゃうよ」

 あきれたようにそう声をかけたのは、ミトだった。ソルティでなくて、ルイスは少しほっとした。

「具合でも悪いの?」

 腰をかがめて尋ねる彼に、ルイスは首を振ってみせた。

「じゃ、どうしてこんなところでじっとしてるの。君で最後だよ」
「最後…………」
「そう。もう十一部屋埋まってる。一部屋は朝方にダウンした子の部屋だから、あとは、君と、君のαだけ」

 ルイスは、きゅっと唇を噛んだ。
 だんまりを続けるルイスを、ミトは心配そうな顔で覗き込んだ。

「ルイス?」
「……ねえ、ミト」
「なに?」
「帰っちゃだめかなあ」

 ミトは眉根を寄せた。

「………………どうして?」
「こわいんだ」

 手首をそっと撫でると、今朝方ソルティにつかまれた場所がチリチリと痛んだ。

 ルイスは先輩Ωの言葉を思い出した。傷だらけの姿を思い出した。あの黄色い薔薇を受け取ったが最後、雪のような肌はずたずたに引き裂かれ、お風呂に入るたびに顔をしかめるほどの痛みに悶えるようになるのだ。そしてその運命に抗うことはもはやできないと思うと、ルイスはますます憂鬱になった。

「ボク、痛いのも、苦しいのも、いやだよ」

 ミトは黙っていた。何やら思案げな顔でじっとルイスを見つめていた。ルイスはやがて彼が、Ω男子の妊娠出産を奨励する司令部の職員であったことを思い出した。

「なんでもない……。聞かなかったことにして」

 ミトはしばらくルイスのことを、もの言いたげに見つめていた。そして、「あのさ」と、何事か言いかけた。ソルティ=ドレッドが現れたのは、ちょうどそんな時だった。

「ああ、こちらにいらっしゃいましたか。随分探しました。ご機嫌は……あまり良くないようですね」

 涙で曇った顔のルイスを見て、ソルティは肩をすくめた。彼はミトへ目を向けて、ふんと鼻を鳴らした。

「やはり司令部の人間は、装いと同じく腹の底も黒いご様子……」

 ミトはぴくりと眉を上げ、鋭い一瞥を返した。そういう彼の視線を軽く受け流して、ソルティはゆったりと近寄った。その途中、彼はちらっとミトの胸元に目を向けた。そこに何もないのを確かめると、彼は勝ち誇ったように口角を上げた。

「受け取って頂けますね?」

 薔薇の香りが近づいてきた。ルイスはかたくなに彼を拒み、膝に顔をうずめた。

「どの道、選択権はありませんよ。私にも…………そして、貴方にも」

 ソルティの声は存外優しかったけれども、手首の痛みを思うと、ルイスはうなずく気にはなれなかった。

 こうなって、ルイスはいつも思うのだ。接見会になんて、来なければよかったと。

 朝には運命の人との邂逅に胸を踊らせて、意気揚々と館の門をくぐるも、日が傾くにつれて憂鬱はいや増し、夜が訪れると後悔に満たされる。そして恋も運命も所詮はまやかしにすぎないことを思い知るのだ。

 ルイスは黄色い薔薇を手にする紳士を盗み見た。

 彼に身をゆだねるくらいなら、ヨルシェで妥協しておいた方が、まだ、マシだっただろうか? 目の前の男にさんざん嬲られたうえに十月十日を後悔の中で過ごすのと、今後一生あの意地悪男にイライラさせられるのと…………ルイスはちょっと考えてみて、ため息をついた。……どっちもどっちだ。

 せめて、この人だったらよかったのに。ルイスはすがるようなまなざしで黒外套の青年を見つめた。ルイスがかくあれかしと願っているせいか、見つめ返す美青年の瞳にも何かあたたかなものがにじんでいるような気がした。それはなんだか、恋の火種になりそうな奇妙な熱を帯びていて、運命らしきものをルイスに感じさせもした。

 でも、どうにもならないのだ。

 ソルティに体を触れられると思うとぞっとする。想像しただけで鳥肌が立つけれど、健常な独身のΩはこの接見会において、健常なαを一人選び、子を成さなければならない。それがアヴァロンにおけるΩの存在意義であり、逃れようのない宿命なのだった。

 涙をぬぐってルイスが立ち上がると、ソルティが再び彼を促した。

「さあ。受け取っていただけますね?」
「…………………………………………はい」

 ルイスは黄色い薔薇をじっと見つめた。

 ああ、でも……いやだな。いったんは伸ばしかけた手を引っ込めると、小さなため息が聞こえた。

 あんまり渋ると、あとが怖そうだ。どうせこれからしばらくは二人きりで過ごさなければならないのだ。機嫌は損ねない方がいい。ルイスはいよいよ諦めて、再び薔薇に手を伸ばした。

 と、ルイスがつかもうとした薔薇が、不意に彼の目の前から消えた。

 ソルティの黄色い薔薇を、脇からひょいと取り上げたのはミトだった。

 驚く二人をよそに、彼は涼しげな顔で言った。

「ソルティ=ドレッド。貴方にこれを持つ資格はありません」
「……何だと?」

 空気がピリッと張り詰めたのをルイスは感じた。

「パートナーの選択は、Ωの自由意思に委ねられるものです。Ωが自由に相手を選ぶために、我々は彼らの要請に可能な限り応じることが奨励されています。もちろん、これはあくまでも努力目標です。我々に与えられた薔薇はただの一本きりですから、ないがしろとまではいかないまでも、Ωの中に優先順位をつけることはあります。それは別段違反ではありません。

 ……ですが、貴方の行動には問題があります。貴方は自身の財務局員としての立場を利用して、他の参加者を恐喝し、平等な交渉の機会を妨げましたね。これは明らかな職権濫用であり、不正行為です」

 そう喋りながら、ミトは黄色の花弁をちぎっていった。一枚、また一枚と、花びらの地に落ちてゆくさまを、見るともなしにルイスは見た。

 ふと顔を上げると、ソルティが眉をひそめていた。鋭い目つきには、怒りを通り越して殺気がにじんでいた。ルイスの身をすくませるほどの鋭いまなざしに動じることなく、ミトは黄色の薔薇を虐げ続けた。

「身に覚えのないことですね。言いがかりも甚だしい。確かな証拠でもあるのですか?」
「証人がいます。貴方に脅されたという方が、幾人も」
「曖昧ですね。具体的にはどなたですか?」
「それは申し上げることは出来ません。匿名ということを条件に証言していただきましたから」
「ほう、匿名の証言者。なるほど。やはり不明瞭な存在だ。まるで貴方の頭の中にしか存在していないかのようだ」

 ミトは意味深な笑みを浮かべた。

「最も重要なことは、『形式』ですよ。ソルティ・ドレッド」

 とうとう茎ばかりになってしまった薔薇の残骸を放り捨てて、彼は続けた。

「接見会に参加できるのは、名誉市民だけです。名誉市民の条件の一つは品行方正であること。……貴方の今回の行動は、適切な書式で、適切に本部に報告し、既に承認を得ています。――さあ、お引き取りを」

 ミトは開いた門を手のひらで指し示した。
 ソルティはミトを射殺さんばかりの目つきでにらんだが、ミトはまったく意に介さぬ様子で、再び彼を促した。

「お引き取りを」
「……後ほど『正式に』抗議させていただきます」
「ええ、どうぞ。ご自由に」


 急速な事態の展開に、ルイスは今一つついていけずにいた。

 ソルティの薔薇を受け取らなくてもよくなったということだけは、彼も理解していて、内心胸をなでおろしていた。しかし、さしあたり、αとΩの人数が合わなくなってしまった。あぶれた自分はどうなるのだろう。ルイスは尋ねた。

「あの……」
「なに?」
「Ωとαのカードキーが揃ってないと、部屋の鍵って、開かないんだよね?」
「そうだよ」
「ソルティが……最後のαがいなくなっちゃったら、ボク、今夜どうしたらいいの?」
「……………………」

 ミトは頬をかいた。それから、「内緒の話だよ」と前置きして、話しだした。

「接見会の会場には、選ばれたαとΩしか入ることができない。閉鎖的な空間だ。だから、非常事態の起こった時、迅速に対応できるよう、運営係として、少なくともα側の参加者の一人には司令部の関係者が選ばれることになっているんだ。要は、裏方だね。……それが、今回は、僕なんだけど……」

 彼はちらっとルイスを見た。

「本来はね? そういう特殊な参加枠だから、黒薔薇は、最後の一人に渡すのが慣例なんだ。Ωが体調を崩したりして、途中退場することもよくあるから。そういう時、僕らが権利を放棄することで人数調整を図るんだ。……今回も、午前中に一人ダウンしてるから、僕の薔薇を無効にして処理するつもりだったんだけど。でも、ドレッド氏が退場するとなると、君の言う通り、αが一人足りなくなってしまうんだよね。

 だから、残念だけど、僕の薔薇は、誰かに贈らなきゃいけないんだ」

 彼は外套を広げると、その内側から、墨染めの薔薇を取り出した。彼はくるりと薔薇の茎を回して、ルイスの手元に差し伸べた。

「……うけとってくれる?」

 ルイスは驚きながらも、うなずいてみせた。漆黒の薔薇がルイスの手の中に収まると、青年は心なしかほっとした様子だった。




◆10

 扉が開いた。中は真っ暗だった。ミトに言われて、ルイスは部屋の壁に、自分のカードキーを差し込んだ。

 ゆったりとした広い部屋だった。ドアのそばには扉が二つあり、一つはユニットバス、もう一つはクロゼットになっていた。
 部屋の奥へ目を投じれば、木製のデスクに電子端末と、缶にパッキングされた食事や水が数日分積み上げられているのが見えた。さらに奥へ進むと、食事用と思しき丸テーブルに椅子が二つ。衝立を隔てた向こう側にはダブルサイズのベッドが一つっきりあって、サイドテーブルには間接照明とともに保健局認可のもろもろの道具が抜かりなく用意されていた。

 青年は部屋に入ると早くも荷造りを解いて、クロゼットに服をかけ始めた。ルイスも彼にならって、荷物を広げ始めた。黒薔薇は、丸テーブルの上の花瓶に挿した。

 作業が終わると、ミトはデスクに落ち着いて、水の入ったボトルの栓を開けた。
 ルイスはといえば、椅子に腰かけて、じいっとミトを見つめていた。彼がぼーっと天井を眺め、時々思いだしたかのように水を飲むようになってから、十数分。ルイスはふと、小首をかしげてミトに尋ねた。

「しないの?」

 ミトはゆっくりと顔を向けた。

「……………………したいの?」
「だって……そうするために来たんだし……」

 言いながらルイスは首輪をなでた。彼をちらっとうかがい見ると、視線はまっすぐにルイスへ注がれていた。なんだか恥ずかしくなってきて、ルイスは思わず目を伏せた。
 でも、どうしても彼のことが気になるのでまた顔を上げた。美しい青年は微笑んでいた。

「真面目だね」
「……そんなことないよ」
「いいや。少なくとも、僕よりは、ずっと真面目だよ」

 そう言うと、ミトは立ち上がった。

「君のヒートが来てからでもいいかな? 今日は、朝からいろんなことがありすぎて……ちょっと、疲れてるんだ。それに、会期って二週間だろう? その間は公休だから、僕、できるだけ、ゆっくりしていきたいんだ。君には、悪いけど……」

 彼はあくびを噛み殺しながら、タオルと着替えとを手に、バスルームの方へ歩いて行った。ルイスはほんの少しだけ残念で、ほんの少しだけ、安心していた。

 一人で手持無沙汰になってしまった。

 ルイスは部屋を見て回った。ベッドにはしわ一つなく、窓の桟には埃一つない。掃除は行き届いていた。

 あんまり仕事が丁寧なので、ルイスの心にだんだんと悪戯心が起こってきた。彼は目を皿のようにしてあら捜しをした。しかし二人の私物のほかには髪の一筋さえ落ちていないし、衝立の格子には埃の影すらない。クロゼットの中でさえ、ハンガーを吊るしたポールにも、クロゼットの隅にも、不衛生なものは存在しないのだ。

 清々しい敗北感を胸にルイスが扉を閉めようとすると、ふと、ミトの衣装が目に留まった。黒い外套はもうすっかり乾いて、ほんのりと洗剤の香りをまとっていた。

 ルイスはそれを手に取ってしげしげと眺めながら、ミトの体格を思い出した。

 華奢ではないけれど、細長い体だ。思い起こせば背丈も、いつかの夜に見た人と同じくらい。

 もしかして、あの晩、居住区を訪れたのはミトだったのだろうか。

「……もしそうだったら、運命的だよね」

 ルイスはミトの勇姿を思い返して、ぽうっと頬を染めた。

 背が高くってハンサムで、包容力があって親切で、黒い衣服の着用を許された、この方舟「アヴァロン」の指揮を執る中央司令部の高級官僚。夢にまで見た運命は今、ルイスの目と鼻の先でシャワーを浴びているのだ!

 ルイスはふと思い立って、彼の外套を調べてみた。
 よく手入れされたコートには、ほころび一つ見あたらなかった。



【NEXT】