◆心変わり

 それで、そう。エイト君は、本当にひどい奴なんだ。

 あれは確か、マジック同好会を立ち上げて間もない頃のことだった。

 今でこそ私は奇術で飯を食っているけれど、奇術に魅了されるきっかけを作ったのは、そもそもエイト君なんだ。

 さっきもちょっと話したけど、私が落ち込んでいる時に、彼が魔法のようなその業を見せてくれてね。とても驚くと同時に、楽しい気持ちになったのを覚えている。

 ……それからだよ。私が奇術に、のめり込んでいったのは。

 彼自身は、手品なんて子供だましのイカサマだと言って常々ばかにしているが、私はそのすてきな魔法を忘れられなかった。だから自分でも使ってみたい、あわよくばエイト君を驚かせてやりたいと思って、ちょっと練習して、彼の前で演じてみたりもした。

 しかしエイト君ときたら、筋金入りの探偵馬鹿だ。彼の本棚は当時から、奇術だの犯罪だののトリックを集めた古今東西の書物でいっぱいだった。ちょっとやそっとのことでは、タネを見破られてしまう。かくなる上は同士を募って、本格的に研究しなくては、彼の度肝を抜くなんて不可能だ。そう思って私は、マジック同好会というのを、新たに立ち上げたんだ。

 その、マジック同好会に所属してくれていたのが、水野先輩なんだけどね。

 先輩は、手品に目のない人だった。歴は随分長いらしく、手先の早業はエイト君と同じくらいか、それ以上に巧みだった。

 手先が器用であるばかりでなく、奇術の知識も豊富だった。右も左もわからなかった私に、手取り足取り、手品のイロハを教えてくれたのは水野先輩だ。ほとんど師匠みたいなものさ。

 私はすぐに彼に懐いた。まあ、彼の人柄が良かったというのもあるけど、なんといっても、彼はちょっぴり、ハンサムだったのだ。

 まあ美しさの点では、虹谷君には及ばなかったがね。かの人たらしはあちこち引っ張りだこで、うちには全然顔を出してくれなかった。

 それに引き換え、先輩は一途だった。とりわけ奇術に対しては、ストイックと言ってもいいくらいだった。

 私と先輩は、ほとんど毎日のように会っていた。学校が休みの日だって顔をつき合わせて、手品の研究に明け暮れた。いつしか私の心は、水野先輩に傾いていった。……移り気な男と言ってくれるな。いつでもそばにいて、親切にしてくれる人に情が移ってしまうのは、自然の摂理というものだ。

 私の奇術の腕が上達するにつれて、恋心も順調に育っていった。

 私は彼との距離を縮めるべく、熱心に会う約束を取りつけた。まったく必要のないスキンシップをとる機会も増やした。

 スポンジボールやカードを扱う時、たびたび指先の触れ合うのが、偶然でないことには、彼も気づいているはずだった。しかし、脈がない風でもなかった。私を見つめる彼のまなざしの奥に、奇術に対するだけでない、熱い情熱らしきものを感じたこともあった。本当に、友達以上恋人未満といった雰囲気で、あとはいつ、どうやって告白しようかというところまで、私と彼との仲は進んでいた。

 ところがだよ。突然、その先輩の態度が、豹変してしまったんだ。

 それまで私のことを、弟子という以上にかわいがってくれていたのに、急に手のひらを返したように、冷たくあしらうようになった。

 彼の教室へ顔を出しても、お昼に誘っても、まったく相手をしてくれなくなった。部室へも来てくれなくなった。あまりにも突然の、心変わりだった。



◆告白

 しかし私には、彼の心変わりの原因が、まったくわからなかった。

 私は彼に礼儀を尽くしていたつもりだった。彼の親切に報いて、師匠や友人という以上に、心を配っていたつもりだった。もちろん悪戯だって控えていた。急に手のひらを返されるようなことをした覚えは、全くなかった。

 考えれば考えるほど不可解だった。わけを聞こうにも、彼はあれこれと理由をつけて、足早に去ってゆくばかりだ。

 そこで私は、エイト君に相談してみることにした。エイト君は良くも悪くも小利口で、他人を出し抜く、あざむくなどということに関して、天才的な素養を備えていたからね。人の心の機微にも長けていようと思ったのだ。

 それにエイト君は新聞部と写真部とを配下にしていたので、校内のゴシップにはめっぽう詳しかった。彼なら何か知っていることがあるに違いない。私は改まって、彼に相談を持ちかけた。

 ダイニングテーブルに頬杖をついて、一通り話を聞くと、エイト君は面倒くさそうに言った。

「その先輩って、三年だろ? 受験を控えたこの時期に君みたいな問題児とべたべたしてたら内申に響くから、距離を置きたがってるんじゃないのかい」
「でも……だからって、校外でまで冷たくすることないと思うんだ」

 水野先輩の家も知っていたから行ってみたんだけど、門前払いだったんだ。

「第一、先週までは、仲良くごはんを食べていたんだよ。なのにそれが、突然……」
「じゃあ君が何か、気にさわることを彼にしたんだ」
「そう思って謝ろうとしたよ。でも、取りつくしまもないんだ」

 私は力なく首を振った。

「わけがわからないよ」
「諦めたらいいのに」エイト君は肩をすくめた。
「諦めきれないから、こうして君に相談しているんじゃないか」
「……せっかくオブラートに包んでやったのに。わからないやつだなあ」

 エイト君は椅子を立った。そして、机を回り込んで、私の方へ、ゆっくりと歩いてきた。私の隣に座り直すと、彼は再び口を開いた。

「知ってるかい、タケ。近親相姦って、わが国では法律上罪にならないんだぜ」
「へえ。そうなのかい?」
「意外?」
「うん。……でも、それがどうしたんだい?」
「……察しが悪いなあ」

 耳を貸すように言われたので、私はエイト君の顔の前に耳を寄せた。そうしたら彼、どうしたと思う? --噛んだんだよ。私の耳を。
 私は思わず身を引いた。ほとんど反射的にあげた私の手首をつかんで、彼は言った。

「…………近親愛者なんだよ」

 彼のまなざしは真剣そのものだった。何か鬼気迫るものを感じて、私はゾクリとした。蛇に睨まれた時の、蛙の心持ちとでも言おうか。声も顔つきも落ち着き払ってはいたが、下手に動いたら喉笛に噛みつかれそうな恐ろしさがあった。まあでもそれは、取り越し苦労だったと、その時は思った。だって彼は、こう続けたから。

「…………君がぞっこんの、その、先輩がね」

 私を安心させるように優しく微笑み、彼はするりと指をほどいた。
 彼の手が離れていっても、私の心臓はまだ早鐘を打っていた。

「夜な夜な、乳繰り合ってるんだよ。実の兄と」
「そ……そんなの、うそだよ。第一、お兄さんがいるなんて、彼、一度も……」
「海外に行ってたみたいだからね。わざわざ話す必要もないと思ったんじゃないかい? ……嘘だと思うなら、証拠をお目にかけよう」

 エイト君は立ち上がると、一枚の写真を手に戻ってきた。水野先輩が、彼によく似た美しい青年と一緒に笑っている写真だ。

「これがその人だ。君が夢中の先輩の、秘密の恋人だよ。しばらく留学していたようだが、つい数日前に戻ってきたんだ。聞いた話じゃ空港で熱烈な抱擁と口づけを交わしていたらしい。もうべったりとお熱い仲だ。まさしく本命だよ。だから君は、お払い箱ってわけさ」

 エイト君は椅子にふんぞり返って、さらに喋り続けた。

「僕の調べたところでは、わが国では直系血族や三親等内の傍系血族との結婚は禁止されているが、成年後の性交渉に関しては規制されていない。未成年のうちは、青少年保護育成条例やら何やらに引っかかることがあるようだけど、大人になってからであれば問題はない。

 わかるかい? つまり、双方が十分な判断能力を備えたうえで、自らの意思によって、相手を心から愛すると決定した上でのことなら、身内でセックスしたっていいんだ。双方の同意があれば、家族間で肉体関係を持ったって、罰せられることはないんだよ。少なくとも、法の上はね。

 まあ一般に、家族に対して性的な感情を持つことは珍しいみたいだけど、全くない話じゃない。人間は自分に似たものに親近感を覚える動物だ。考えてみれば、家族愛や兄弟愛なんてのも、突き詰めれば一種の自己愛だよ。血を分けた人間の似通った部分に愛すべき自己を見出したればこそ、親子や兄弟姉妹に並々ならぬ愛情を注ぐことができるのだ。だからこそ親子や兄弟は仲良くできるのだ。

 ところがその穏やかな家族の愛情が、ある日、狂おしい恋情に変容する……。法が許すといったって、世間的には近親愛はタブー視されている。自他ともに罪の意識が強くある。……道ならぬ恋というわけさ」

 エイト君は大きなため息をついた。

「障害が多いほど恋は燃え上がるというけれど、それは外野の勝手な言い草だ。人の恋路をエンターテイメントと思っている無責任な連中の言い草だよ。当事者からすれば、たまったもんじゃない。

 ……打ち明けることの許されない思いを胸に、こっちは毎日、悶々としているのに。当の本人ときたら、人の気なんて知りもしないで、どこの馬の骨ともわからない野郎と、のんきに恋愛ゴッコを楽しんでいる。

 一難去ったと思ったらまた一難。目の届かないところで、有象無象の連中が愛しのハニーにたかる。心ない輩が傷つける。もてあそぶ。そして泣かせる。せめて手の届くところにいてくれたらいいものを、あっちへふらふら、こっちへふらふら……。いっそ鎖で繋いで閉じ込めておけたら、どんなに気が休まることか………………」

 そのあとも、エイト君はどことなく上の空のような調子で、長々とぼやいていたけれど、私の耳には入らなかった。
 私は立ち上がった。

「どこ行くんだい?」
「先輩の家」
「ええ? ちょ、ちょっと待ってくれよ、タケ!」

 リビングを出ようとすると、エイト君が慌てた様子で駆け寄ってきた。

「君の思考回路はどうなってるんだ!? どうして……なんで、今の話を聞いて、そいつの家行こうってなるんだよ」
「決まっているだろう。確かめに行くんだ」
「何を」
「君の言ってるのが、本当かどうか…………」

 呆れたように、彼は言った。

「尋ねたって、言いやしないよ。いいかい、罪にならないといったってね、世間が許したわけじゃないんだ。兄弟で恋しあっているなんて、知れ渡ったら終わりだよ。社会的生命は抹殺され、後ろ指を指され、待っているのは破滅だけ。秘中の秘なんだ。禁忌を犯しているなんて、誰が自ら暴露するものか。その告白が、最愛の人を傷つけるとわかっていればなおさら、口をつぐむよ。…………ちょっと考えたらわかるだろ?」
「………………」

 私は再び、椅子に腰を下ろした。

 ため息がこぼれた。彼の言葉に納得したわけではない。しかし先輩の心が、私から離れていることは確かなのだ。
 彼の冷たい態度を思い返すと、胸が痛んだ。また失恋かと思うと、涙も出てきた。机に突っ伏していると、エイト君が頭をなでなでしてくれた。…………あったかかった。

「恋って、つらいね」

 エイト君が呟いた。彼の口からあんまり意外な言葉が飛び出してきたので、私は思わず笑ってしまった。

「おや。今泣いたカラスが……」
「だって……仕方ないだろ」

 私は涙をぬぐった。

「エイト君って、恋する生き物だったのかい」
「そりゃ、するさ。僕だって。人間なんだから」

 エイト君は苦笑した。じっと見つめていると、彼は唇を尖らせた。

「なんだよ」
「いや…………ふふ。君は恋愛には消極的だとばかり思っていたけど、なかなか隅に置けないね」

 私は頬杖をついて、彼の照れる珍しい姿を眺めた。

「君みたいな堅物を骨抜きにするとは、いったい、どれほどの美人なのだろうね。ぜひとも、ご尊顔を拝んでみたいものだよ」
「……顔は十人並みだよ。やんちゃで手もかかる。なんだって好きなのか僕自身でもよくわからないんだけど、どうも目が離せないんだ」

 彼の近くにそんな人はいただろうか。などと考えていると、エイト君はまた、私の髪をくしゃくしゃかきまぜた。

「まあ、そう遠くないうちに、きっと落としてみせるから。せいぜい、楽しみにしておきたまえ」


 そして後日、私は、先輩の家のそばまで行ってみた。塀をよじのぼって、ちょっと覗き込んでみると、居間のカーテンの開いているのが見えた。その中では水野先輩が、兄なる、かの美青年と和やかに談笑していた。まるで二人だけの世界に浸っているかのようだった。寄り添う二人の姿があまり幸せそうだったので、私は身を引くことに決めた。



◆真相

 で、それから十年ばかり、その先輩とは音沙汰がなかったんだけど、ついこの間、偶然ばったり、再会したんだよ。とある、結婚式の会場で。その、招待客としてじゃなくて、私は仕事として行ったんだけど。

 きれいな人と高砂に並んでいてね。まあ、美男美女でお似合いの二人だったよ。微笑ましいなあとはじめは思ったが、私はふと首をかしげた。

 というのが、そのご両人はどう見ても、心から愛し合っているようにしか見えなかったのだ。でもエイト君の言によれば、彼は近親愛者だったはずだ。ところが彼の、高砂から親族席の兄君を見るまなざしにも、その兄君の、花婿を見るまなざしにも、家族愛以上のものは、どうしても感じられない。

 妙だなあと思ってまじまじ見ているうちに、向こうも私に気づいた。はじめは恐る恐るという感じで話しかけてきたのだけど、やっぱり水野先輩その人だ。
 余興が終わったらすぐに帰るつもりでいたが、存外、先輩と話が弾んだものだから、私はちょっとテーブルにお邪魔して、お酒も酌み交わした。

 そして宴もたけなわになってきた頃、彼が私に耳打ちした。

 なんでもね。彼はやっぱり、学生時代、私に恋していたらしいんだ。でも、諦めたっていうんだよ。どういうことかと掘り下げてみると、なんでも私の格好をしたやつが「恋人がひどく焼いて、いじめるから、誤解を招くようなことはしないでほしい」とかなんとか、言ったらしいんだ。……おそらく、本当はもっとひどい言い方だったんだろうけど、まあ、そういう風なことを言って、先輩を突き放したらしい。

 もちろん私には覚えのないことさ。でも水野先輩はもとより誠実な人だ。彼がつまらない嘘など、つくはずもない。とすると考えられるのは、私になりすました第三者が、暗躍したということさ。

 末の弟はその先輩のことなんて全然知らない風だったから、残る容疑者は一人しかいない。

 つまり私は、まんまとエイト君に担がれたわけだよ。親切にも相談に乗ってくれた彼が、私を陥れた張本人だったんだ。もちろん、先輩が近親相姦者なんて嘘っぱちさ。水野先輩は着実に段階を踏んで、意中の女性とゴールインしたくらいだし、かの兄君も、熱烈な学生結婚で細君と第二子まで作っているのだからね。

 とどのつまり、せっかく叶いかけていた私の恋は、エイト君のせいでぶち壊しになったのだ。彼が不和の種をまいたばかりに、心の通じ合っていた私と先輩とは、引き裂かれた。エイト君が余計なことさえしなければ、水野先輩は今でも私の師匠で、もしかしたら、恋人になっていたかもしれないのに。

 エイト君は本当に、悪い奴だよ。


【NEXT】


成人後の合意の上での近親相姦は、日本を含む一部の国々ではマジで合法みたいです。(調べた)
でも倫理上の判定はアウトです。

ただこの二人は、近親相姦の定義次第では倫理上もギリギリセーフになる可能性があったりなかったり。