◆計画通り

 文化祭ではエイト君とひと悶着もふた悶着もあった。

 クラスごとに出し物をすることになったんだけどね。なんでもエイト君のクラスでは演劇をやることになり、彼は主役に抜擢されたそうだ。

 それで私に、稽古の相手を依頼してきたのが事件の始まりだ。

 彼は恋する貴公子役とのことだった。彼のよこしてきた台本を、私はぱらぱらめくって読んでみた。どうやら濃密な恋愛劇のようだった。見れば、キスシーンまで用意されているらしい。

「へえ、いいね。女の子にチューできるのかい?」
「ううん。女性陣の猛反発があったんで、それはしないことになったんだ。で、その代わりに、恋愛の場面を濃厚にすることで、面白さのバランスをとることになった」
「なるほどねえ」

 私は台本を彼に返した。

「でも、こういうのは末広の方が得意なんじゃないかい? 彼、演劇部だろ?」
「あいつは高くつくからいやだ」
「安い男で悪かったね」
「ああ、悪い悪い。言葉のあやだよ。……心ばかりになっちゃうけど、ちゃんとお礼はするからさ。なあ、だめかい?」
「だめってことは、ないけどねえ……」

 私はちらっとエイト君を見た。まじめな顔を作ろうとしてはいるが、心なしかちょっと浮かれている様子だ。さては意中の子がヒロイン役で、私で予行練習をしようというはらか。

「稽古するなら、共演者とやった方がいいんじゃないかい? その方が練習になるだろう」
「ラブシーンの練習なんて頼めるわけないだろ。変に気があると思われちゃ大変だよ」
「そういうところから始まる恋もあるんじゃないかい?」
「勘弁してくれよ」

 にやにやしながら私が言うと、彼はげんなりした顔をした。どうやらヒロイン役に気があるわけではないらしい。

「なあ、頼むよタケ。この通りだ」
「うーん…………」

 まあ、彼が私にものを頼むのは珍しいし、やってあげてもいいかなとは思っていたよ。

 うちのクラスはお化け屋敷だったんだけど、私はそれとは別に、マジック同好会としてのパフォーマンスの準備をしなければならなかった。なので、ちょっと忙しいといえば忙しかったのだが、猟奇だの怪奇だのはエイト君の好物だし、奇術だって私より断然詳しくて上手だ。彼が知恵を貸してくれたら、どちらも早く終わりそうだ。だからこっちの手伝いと交換条件にして、彼の頼みを飲むのも悪くはない。私の心はOKに傾きかけていた。だが、エイト君が何やら袋の中をがさがさやっているので、私は待った。

 ほどなくしてテーブルの上に、カスタード色の中身のたっぷり詰まったプラカップが一つ現れた。

 蛙鳴屋(あめいや)のはちみつプリンだ。君は食べたことあるかい? これがねえ、絶品なんだよ。口にいれた途端にとろけて、優しい甘さがふわっと広がる。幸せというのはまさにこれ、といっても過言ではないほどの美味なんだ。

 予想以上に上等のご褒美に喜んでいると、もう一つ増えた。なるほど、待てば待つほど増えていく仕組みだ。すでに承諾する方向で心は固まっていたけれど、私はあえて返事を渋った。すると案の定、プリンが一つ増えたじゃないか。もう三つだよ。もう少しねばったら四つ、いや、五つもらえたりするのかと、ワクワクしながらテーブルを見ていると、一つ減った。

 エイト君はじっとこちらを見つめながら、また一つプリンを袋に戻した。

 最後の一つが取り上げられる前に、私は協力を申し出た。



◆芝居の恋

 差し当たりやってほしいのは、彼の恋のお相手役とのことだった。
 貴公子は政略結婚が決まっていたが、他に恋する人がいる。で、婚礼の前にその恋人とドロンしてしまおうと、そういう話だ。

 コピー用紙をホチキスで束ねただけの、簡素な台本を見ながら、私はセリフを読み上げた。

「ええと……『明日までなんて待ちきれません』」

 彼は私の腰を抱いたまま、ため息をついた。

「あのさあ、タケ。もうちょっと感情込めて喋ってくれよ。じゃないと練習にならない」
「そうは言ってもねえ」

 台本をちらっと見て、私は頭を抱えた。貴公子に恋するご令嬢のセリフが、なんとも熱烈なのだ。思わずこちらが赤面するほど。

「真面目にやってくれないんだったら、さっきあげたプリン返してくれよ」

 すでに平らげてしまったものを返すことはできない。私は仕方なく、彼の背中に手を回した。

『……明日までなんて待ちきれません。私を妻にしたいとおっしゃるのなら、明日なんて言わないで、今ここで、私をあなたのものにして』
『いけません。神に誓いを立てるまで、あなたは神のもの。……そんな顔をしないで、いとしい人。僕の心はあなたのもの。……』

 相思相愛の恋人の芝居だ。彼の喋っている間は、彼を見つめておくべきなのはわかっている。だが、エイト君が私の瞳をのぞき込んで、あんまり優しくささやくものだから、恥ずかしくなって、つい目をそらしてしまった。そうすると、またため息が聞こえた。

「…………距離が近すぎるんだよ」

 私はうつむいて言い訳した。服のそでを引っ張って、中に手を隠そうと試みながら。ーーエイト君がいつまでも私の腰を放そうとしないので、そうでもしていないと、どうも落ち着かなかった。

「当たり前だろ。恋人同士なんだから」
「に、したってだよ。くっつきすぎじゃないかい。演技とはいえ、これを年頃の女の子と毎日やってちゃ、不純異性交遊とやいのやいの言われても文句は言えないよ」
「だから恥をしのんで君に頼んだんじゃないか。ほら、恥ずかしがってないで、ちゃんとやれよ」
「でも……」

 私が甘味一個分の義理と羞恥心の狭間でぐらぐら揺れていると、ふと、エイト君が呟いた。

「出来高次第でまた増えるかもしれないのになあ」
「何がだい?」
「蛙鳴屋」

 彼に抱きしめていられると、どうも落ち着かない気持ちはあったものの、はちみつプリンには代えられない。私は本当に彼に恋しているのだという気持ちになって、一つやってみることにした。

 プリンを手に入れるため、私は彼の胸にすがりついて、一生懸命、彼を口説いた。

 頬を赤らめることは数限りなくあったが、稽古はおおむね上手く進んだ。彼も私の手品の練習に、快く付き合ってくれた。

 本番が近づくにつれて、稽古にはますます熱が入った。時間を惜しんで、我々はベッドの中でさえセリフを言い合った。

 当時我々は、二段ベッドの上と下を使っていた。真っ暗闇の中で、我々は愛の言葉を応酬した。上階の住人が長ゼリフを喋っている間に、寝入ってしまうこともあった。そのせいか知らないけど、めがねの王子さまが夢に出てくることさえあったくらいだ。




◆シナリオ通りのハプニング

 そして満を持して本番を迎えた。

 私の出番は、エイト君たちのクラスの発表の、次の次だった。

 私は身支度を済ませると、アリーナヘ入った。エイト君の声がした。どうやらもう芝居は始まっているらしい。兄弟の勇姿をしかと見届けるべく、私は舞台に目を向けた。

 すると、びっくり。舞台上にいるのは、男子ばかりだったのだ。

 主人公であるエイト君はもちろん男。彼と相思相愛の貴婦人も男。そして主人公の婚約者たる娘役も男。だからか知らないが、恋愛色というよりは喜劇色の方が強かった。しかもエイト君の芝居は、私との時と全然違った。ガタイのいい婚約者が言いよるところでは、抱きしめるどころか後ずさり。しかもやらないと言っていたのに、本命の貴婦人とは口づけもしている。

 おかしいなあと思って、エイト君が出番を終えて袖に引っ込んだ時、ちょっと尋ねてみたんだ。彼をねぎらうついでにね。

 エイト君はトレードマークの黄色いめがねを取り払って、髪を見栄えよく整えていた。瞳には知性の光がきらめいて……といっても、彼のは悪知恵の方だがね。まあ美しくはないが、見れるほうにはなっていた。

「ロマンスじゃなかったのかい?」

 彼はペットボトルの水を一口飲んで、答えた。

「ロマンスだったよ、はじめは。でも、ヒロイン役が入院しちゃってね。それで急遽、コメディに差し替えたんだ」
「ふーん……」

 彼の共演者たちが、主役の背をぽんとたたき、軽口を浴びせながら通り過ぎていった。エイト君も同じような軽口を返し、彼らにひらひら手を振った。

「でもエイト君。残念だったね」
「なにが?」
「ほら、あのロマンスさ。せっかく練習したのにお蔵入りなんて、ちょっともったいないね」
「ああ……」
「そのくせ、練習しなかったところは必要になる。皮肉なものだ」
「練習しなかったところ?」
「ほら、キスだよ、キス。ぶっつけ本番だったんだろう?」と冗談交じりに言うと、
「何言ってるんだ。僕はちゃんと予行練習を重ねたよ」
「人形とかい?」
「ばか言うな。ちゃんと人間とさ」
「ふーん…………」

 私は舞台の方にちょっと目を向けた。漫才はまあまあ受けているらしい。観客の笑い声がどっと響いた。

 しかし、キスの相手がいるとはエイト君もなかなか隅に置けない……。と、思ったところで私はふと、何か腑に落ちないものを感じた。ちょっと記憶をたどると、その正体にぶちあたった。

「あれ? でもエイト君。たしか、ロマンスの芝居なんか人に頼めないとかなんとか、言ってなかったかい?」
「そうだよ。だから仕方なく、君に頼んだんじゃないか。で、君はいいって言ったじゃないか。だから僕は、台本にある通りに…………」
「台本?」

 彼は、しまったという風な顔をして、さっと目をそらした。

 なんだか嫌な予感がした。
 私は彼の手の中で丸まっていた台本をひったくった。朱書きのされた冊子をぱらぱらとめくった。問題の個所には、確かにこう書かれていた。

(眠る本命カノジョに口づけ)

 彼は呆然と立ち尽くす私の手から、台本をひょいと取り上げた。そしてわなわなと震える私に向かって、にっこりと微笑みかけたのだった。

「眠っているお姫さまがキスで目覚めるっていうのは、本当に、おとぎ話の中だけの話だね。……ああ、君の出番も来たみたい。行ってらっしゃい。がんばって」

 そう言って私の手にケーンを握らすと、不埒な唇泥棒は、群衆のごった返すアリーナへ出て行った。

 それから何をどうやってステージに上がったのか覚えていない。ともかく私は、気がついた時にはスポットライトの中にいた。

 体育館は薄暗くて、ろくろく群衆の顔の見分けもつかなかった。だがステージの真向かいの壁に背をつけて、じっとこちらを見つめている貴公子の姿だけは、装いの異質さのためか、やけに鮮烈に見えた。私は極力、彼とは目を合わせないようにした。パフォーマンスに集中しようと、一生懸命に努力した。

 私の手足や唇は、鍛錬の記憶だけで動いていた。数分経つとどうにか持ち直し、機械的なそれにだんだんと心が入ってきた。小さな炎で観衆を沸かし、調子を取り戻してきた私は意気揚々と口上を述べた。

「次なる奇跡は百花繚乱、さあさ皆様ご覧あれ!」

 計画ではケーンから一挙に花を出すはずだった。だが、黒いスティックを回したその時、何かがポンと飛び出した。ステージの上を何かがコロコロと転がった。……嫌な予感がした。だが見ないわけにはいかない。私は転がるそれを目で追った…………リップクリームだった。それも薬用の。ケーンの底が抜けていることに、私はようやく気がついた。だが時すでに遅し。穴の開いた筒の中から、色とりどりの口紅がポロポロとこぼれてくる。

 観客には受けていたけれど、私の計算にはないことだ。こわごわ、体育館の奥に目を向けてみると、かの腹黒男が口を手で覆って、うつむいていた。私の視線に気づくと、彼は背を向けた。間違いない、あれは笑っている。――それも、近年まれに見る、大爆笑だ。彼の細工に違いないよ。きっと自分の加工した手品道具と、私のそれとをすり替えたのだ。

 そこからはもうめちゃくちゃさ。シルクを引っ張り出すはずが、紐につながれたパンティーが出てくる。シルクハットからはゴム鳩の代わりに真っ白なブラジャー。汗を拭こうと取り出したハンカチには真っ赤な文字(きっとルージュだ)で「今夜はOK」……。そのあともずっと、出ないはずのものが出てくるし、出てくるはずのものが出てこない。

 ステージは拍手喝采の大成功に終わったが、私の誇りはズタズタだ。せっかく見に来てくれた友達には「お前、芸風変えたのか」なんて言われる始末だし、とんだ赤っ恥だよ。

 意気消沈する私に、彼がにこにこしながら声をかけてきた。

「やあやあ、おつかれだったね、マイハニー。ところで僕からのプレゼントは気に入ってもらえたかい?」
「…………ああ。特に口紅は最高だね。気に入ったよ。君にお返しするから、楽しみにしておきたまえ、ベイビー」

 その夜、早速私は彼にお返しをしてやった。彼自体にではなくて、彼の大事にしていた乱歩の全集にね。彼のくれた口紅の最後の一本が尽きるまで、塗りたくってやったよ。絶版だのなんのとぎゃあぎゃあわめいていたけれど、私の知ったことではないね。自業自得さ!


【NEXT】