◆ベランダ封鎖

 ある日の午後、エイト君がリビングで奇妙なことをやっていた。バルコニーへ通じるガラス戸の錠を、針金でぐるぐる巻きにしていたのだ。
 半円形の鍵を回転させなければ、ガラス戸は開かない仕組みだ。彼はその鍵をがっちり固定して、扉を封鎖しようとしているようだった。わけを尋ねると「夜間の君の安全と、僕の精神衛生のためだ」

「でもねえエイト君。そんなことされちゃ、洗濯物が干せないよ」
「部屋干しでいい」
「どこに干す場所があるって言うんだい。第一、物干し竿とか……」
「買ってきた」

 指さす方を見ると、壁際に何やら箱が立てかけてあった。折り畳み式の物干しスタンドらしい。
 私がそれの組み立てに悪戦苦闘している間に、彼はベランダの完全封鎖を終えたようだ。ぐるぐる巻きにされたワイヤーの束に南京錠がぶら下がっているのが見えた。
 物干しスタンドの組み立てガイドを眺める彼に、私は尋ねた。

「台風でも来るのかい?」
「今のところそんなニュースはないよ。言っただろう? 夜の間の君の安全と、僕の精神衛生のためだ……おい、この部品はここじゃないぞ」
「必要な説明を省こうとするのは君の悪い癖だよ。もっとちゃんと、わかるようにだね……」
「はあ。わかったよ。しょうがないな」

 彼は自分の部屋に引っ込んでしまった。二、三分ほどして、足音がまた近づいてきた。顔を上げると、レンズがじーっとこちらを見つめていた。ビデオカメラだ。にっこり笑って、手を振ってみた。「撮ってないよ」と彼は言った。

 頬を膨らませてちょっと睨んでみせると、「悪い悪い。……これを見せようと思ったんだよ」

 小さなモニタには部屋が映しだされていた。私の部屋だ。布団をかぶって寝ているのは、おそらく私だった。

「先々週の映像だ」
「……どうして私の部屋なんて録画してるんだい?」
「夜間の君の所業があんまりひどいからだよ。……まあ見たまえ」

 エイト君は早送りのボタンを押した。

 私は熟睡中らしく、ベッドでごろごろ寝返りを打っていた。あんまりよく眠っていて、ベッドのふちに寄って行っているのにも気づいていないようだ。あぶない、落ちそうだ。と思っているうちに、やはりベッドからボテッと落ちてしまった。だが、それでも目を覚まさない。本当によく眠っているようだ。
 私はフローリングの上を右に左にのたうち回り、やがて、フレームアウトした。

 しばらくして、私はベッドに戻ってきた。エイト君に抱っこされてだった。彼は心なしか慣れた手つきで私を寝かせ直すと、大きなあくびを一つして、部屋を出て行った。

 そこでエイト君は映像を止めた。

「週に四回は、こういうことがある。たいてい君は、隣のリビングに転がっている。廊下にいることもある。玄関まで旅をしていることもある。僕の部屋に転がり込んできたこともある」

 まったく記憶にないが、言われてみると確かに、自分のベッドで眠ったはずなのに目が覚めた時には全然ちがう場所にいることがある。実家にいたころは別にそんなこともなかったのだが、思えばあれは、ベッドサイドに柵が打ちつけてあったおかげなのかもしれない。
 いつの間にやら体にあざのできているわけも、これで解けた。ああしてのたうち回っている時にぶつけていたのだなあ、と私は一人納得した。
 だが彼が、わざわざビデオカメラなんぞ持ち出してこんな話をし始めたのは、まさか私のささやかな疑問を解消するためなどではないだろう。私は彼の話の続きを聞いた。

「ドアをきちんと閉めておいても君は部屋の外に出ている。ということは、おそらく一度トイレか何かのために起きたが、ベッドに帰り着く前に睡魔に屈したのだ。最初はきっとソファにいたんだろうと思うが、寝始めると、例によって転がりだす。たまにリビングにすら戻らず、玄関マットやバスマットの上で妥協していることもあるようだが、まあこれは問題ない。せいぜい風邪をひくくらいだからね。
 …………問題なのは、あそこだ」

 彼は封鎖されたベランダを指した。

「転落事故を防止するため、通常ベランダの塀は越えるのが難しい作りになっている。起きている時だって、かなり力を使わなけりゃ越えられないくらいだ。寝ぼけている状態でそんな力仕事はできやしないだろうし、もし寝返りでごろごろ転げていったとしても、塀にぶつかって止まる。そう思って、僕もそこまで警戒はしていなかった。
 だが、君の寝相の悪さは、僕の想像以上だった」

 エイト君は深刻な顔でため息をついた。

「昨日、換気のためにガラス戸を開け放していたら、大きな物音がした。見に行ってみると網戸が外れていた。強盗じゃない。君の仕業だ。なぜって、ベランダには君がいたからね。
 そしてベランダには、エアコンの室外機がある。
 今は動かしたから大丈夫だが、その時、室外機は壁と垂直に置かれていた。お隣さんとの仕切り板……ほら、緊急時には蹴破って隣戸に避難するためのあれだよ。あの仕切りに沿って置いてあったのだ。
 近頃は冷え込みが続いているから、暖房は一晩中運転させていた。室外機からは冷たい風が吹き出していた。そしてそんな中に、網戸を破って君が転がり出た。
 室外機の吐き出す冷風を浴びて、いったんは、目を覚ましたのかもしれない。でも、寝ぼけていたんだろう。君は室外機のカバーにくるまり、猫のように丸くなって、あの箱の上ですやすやと眠っていた。
 ーーーー室外機に登ったとしても、その高さは塀より低い。マージンは十分にある。普通に眠っていたら、まず越えることはないだろう。ただ、この段差がねえ、五十センチなんだよ。
 五十センチ……ピンと来ない? じゃあこう言おう。室外機とベランダの塀との段差は、床からベッドトップまでの高さと、ほぼ同じなんだ。ーー寝ぼけて室外機の上で眠るような君だ。室外機からベランダの床に落ちれば僥倖。でも、ひょっと塀に手をついたりしたら? 床に落ちたと勘違いして、ベッドに戻ろうとするかもしれない。塀を越えると九階だ。落ちたら、まず助からない。だからああして、ベランダを封鎖したというわけだ」

 彼はまた大きなため息をついて、私の肩を抱いた。

「まったく。君はどれだけ僕の寿命を縮めれば気が済むんだ」
「はあ。なんだか苦労をかけたみたいで、悪かったね」

 私は抱きついてくる彼の背をぽんぽん叩いて、ねぎらった。
 でも、網戸を破ったの、室外機の上で眠っていたのと言われても、なにせ眠っている間のことだ。無意識のうちにやったことなので、どうも実感が沸かなかった。
 それよりもベランダを封鎖されたことの方が、私は気がかりだった。

「でもねえ、エイト君。ベランダに出られなくちゃ、いろいろと困るんだよ」
「たとえば?」
「お花に水をあげられないし……」
「僕がやっておく」
「でも、匂いとか嗅ぎたいし。それに部屋の換気だってしなくちゃ」
「寝室の窓とドアを開け放しておけば大丈夫だ」
「だけどねえ。……夜景だって見たいし」
「じゃあ展望台に行こう。このマンションも見下ろせるぞ」
「だけど……ええと……そうだ。布団を干すところがないじゃないか」
「これが見えないのか? これが」

 組み立てかけの物干しスタンドを、エイト君は叩いた。実際その竿は布団も干せそうなほどしっかりしていた。
 言い訳を探してみたが、別にそのほかには、用事らしい用事があるわけではない。私の反論はそこで終わった。

 出られないとなると、かえって出たい気持ちがつのった。夜風が妙に恋しかった。
 封鎖されたガラス戸をじっと見つめていると、エイト君が言った。

「そんな顔するなよ。別に、ずっと締め切っておくわけじゃない。君の寝相が治るまでの一時的な措置だ。君の夜の悪癖が治りさえすれば封鎖は解く。それが早いか遅いかは君次第だ。君は、問題の根絶にーー寝相の改善に、全力を尽くしてくれ」
「そうは言ってもね、エイト君。眠っている間のことじゃ、どうにもならないよ」
「そうだろう。そこで僕のほうから一つ、提案があるんだ」

◆共寝

 その夜私は、かわいい羊のイーリスを連れて、エイト君の部屋を訪ねた。

「作戦って何なんだい?」
「うん。まず、君はそこで寝てて」

 言われた通り、エイト君のベッドに横になった。慣れないベッドで、ちょっと落ち着かない。これが彼の作戦なのだろうか。
 居心地のいい体勢を探して身じろぎしていると、布団がかぶさった。布団の端っこが私の肩の方まで上がってきた。そしてなぜかエイト君も、いそいそと中に潜り込んできた。

「君も一緒に寝るのかい?」
「当たり前だろ。僕のベッドだ」

 彼は身を寄せてきた。シャンプーの匂いがふわりと香った。

「でも、狭いんじゃないかい?」

 エイト君のベッドはシングルサイズだ。我々はちょっと小柄な方だが、それでも二人で寝るのに十分な広さがあるわけではない。

「うん、狭い。もうちょっと寄れない? 落っこちそうだ。……もう寄れない? そうか。じゃあ、そんなもんでいい」

 私を壁際へ追いやると、彼は私の腰を抱いた。

「窮屈かもしれないが、まあ、我慢してくれ。……こうして物理的に君の体を固定しておかないと、君のよろしくない寝相を治すことは不可能だと思うんだ。縄か何かで縛っておくという手も考えたんだけど、一晩中となると、さすがにかわいそうだからね」

 私を抱きしめながら、彼はそうささやいた。
 ぴったりと密着して、鼻もくっつきそうなほどだった。ちょっぴり恥ずかしかったし、実際窮屈でもあったので、私は枕にしていたイーリスを盾にした。イーリスの厚みの分、エイトくんは向こうに押しやられた。

「おい。狭いのにやめろよ」

 落ちそうになったエイト君が、かえって私の方に迫ってきた。羊のイーリスが、私とエイト君の胸の間で潰れた。ぺしゃんこになって、あんまりかわいそうだったので、私はエイト君に背を向けた。

 結果、状況は悪化した。

 エイト君が呼吸をするたびに、首筋をやわらかい風がくすぐった。こそばゆいし、妙にどきどきするしで、とても眠れそうにない。かわいい枕をぎゅっと抱きしめて、私は羊を数えた。

 羊が四百匹くらいになったころ、彼がまたささやいた。

「タケ。もう寝た?」
「……寝てない」
「寝れない?」
「……うん」
「電気消してみる?」
「うん」

 テーブルランプのあたたかい薄明かりが消えて、部屋は暗闇に包まれた。黒い壁に、ぱっと光の玉がうつった。たぶん携帯電話の明かりだろう。彼は少しの間ごそごそやって、また、私の背中にひっついた。
 紙をめくる音がした。本でも読むつもりか。目が悪くなるぞと言ってやろうと思ったが、私が口を開く前に、エイト君が抑揚のない声で呪文を唱えた。

「二銭銅貨一枚の切符恐ろしき錯誤二癈人双生児D坂の殺人事件心理試験黒手組赤い部屋算盤が、恋、を語る話日記帳幽霊盗難白昼夢指環夢遊病者彦太郎の死百面相役者屋根裏の散歩者一人二役疑惑人間椅子、接吻、闇に蠢く湖畔亭事件空気男陰影パノラマ島奇談一寸法師踊る一寸法師毒草情死覆面の舞踏者灰神楽火星の運河五階の窓モノグラムお勢登場、人でなしの恋、……」

 まるで念仏のようなそれを聞いているうち、私の意識は沈んでいった。



◆ボーダレス化

 頬がくすぐったい。重い瞼をどうにかこうにか押し上げると、間近にエイト君の顔があった。
 驚いて声を上げたが、まもなく、昨夜は彼と一緒に眠ったのだということを思い出した。

「作戦は成功だ。君は一晩中ベッドの上にいた。……実におとなしいものだった」

 そう言って微笑む彼の目の下には、ちょっぴりクマが浮いているようだった。

「エイト君、ちゃんと眠れたかい?」
「うん、まあ、少しはね。……いや、つい読むのに熱中しちゃってさ。……大丈夫だよ。適当に仮眠とるから」

 彼はベッドを下りた。

「治るまで続けるからね」

 次の日も、そのまた次の日も、私はエイト君と一緒に眠った。
 そうしないと、かの頑固者がベランダの封鎖を解かないと言うので、仕方がない。
 リビングで干したのでは、乾いた服からおひさまの匂いがしない。「ほら、おひさまだ」と言ってエイト君が吹きつける、あのスプレーの匂いじゃだめなのだ。

 だがシングルベッドに二人は、やはり手狭のようだった。ちょっと体が痛くなってきて、体勢を変えようとすると、どうしてもエイト君を押さざるをえない。そうすると、背に壁のない彼はずり落ちてしまうのだ。私もちょっとは気を使って、壁へ壁へと寄るようにしていたが、そうすると今度はこっちが窮屈だった。

「ねえ、エイト君。やっぱり、別々に寝た方が……」
「いやいや、だめだ。……でも、何か考えておくよ」

 そしてエイト君は週末に模様替えをすると言いだした。
 詳細は見てのお楽しみというので、私は当日を待った。

 うきうきしながら帰宅すると、彼が玄関で待ち構えていた。

「おかえり」
「ただいま。……それでそれで? もう終わってるのかい?」
「ああ。もう済んだよ。確かめてくれ」

 玄関やお風呂周りには、特に代わりはないようだった。家を出る前より少しきれいになっているくらいのものだ。リビングダイニングキッチンも特に変化はない。ひょっとしてベランダかと思いきや、そこは相変わらず封鎖されている。
 すると部屋だ。自分の部屋のドアを開けると、やはり、大きく様変わりしていた。エイト君のデスクと、本棚が引っ越してきていた。私の部屋と彼の書斎と、半々といった感じになっていた。書斎エリアと化したスペースにはもともと私のベッドがあったはずだが、部屋の中には見当たらない。

「エイト君。私のベッドは?」
「こっち」

 エイト君の部屋を見ると、彼のベッドが大きくなっていた。クイーンサイズか、下手をすればキングサイズだった。

「買ったのかい?」
「いや。君のと僕のをくっつけただけだ」

 彼は布団の真ん中あたりをぺろっとめくった。確かにそこには、ベッドの境界線があった。
 私の枕たちもベッドの上にいた。きれいにメイクされたベッドの上で、大小の羊が群れをなしている。よくよく見ると一番壁際のは見ない顔だった。
 ベッドサイドのチェストも新顔だが、上にのっているテーブルランプはなじみだ。エイト君は天井灯を消して、橙色のあたたかい光を放つランプを灯した。そうすると私室というより寝室の雰囲気だった。

「どうせ一緒に寝るんだ。この方がいいだろ?」
「でも、相談くらい……」
「悪い悪い。まあ、問題があったら戻すから」
「まったく……」

 私は新顔の羊を抱き上げた。名前を考えていると「ラム」と彼が呟いた。一番小さなのをつついていた。それから彼はまた別の羊をつついて言った。

「マトン。ハギス」

 そして彼は、私が抱っこしている一番大きな羊を指差して、にっこり笑った。

「ジンギスカン」

 クロリスと名づけることにした。


 羊に囲まれても、ベッドは十分な広さがあった。
 だが密着度はさして変わらなかった。私の背をさすりながら、彼はのたまった。

「言ったろ? 矯正なんだ。こうして物理的に固定しておかないと、君はどこへ転げていくか、わからないからね」
「だけど、せっかく広くなったのに。窮屈なままじゃないか」
「そんなことはないさ。気兼ねなく寝返りを打てる」

 私を抱きしめたまま、彼は転がった。ごろんとなって、私は彼の上にのしかかるような格好になった。

「ほらな?」

 彼は自慢げに微笑んで私の頭をなでた。
 パジャマの柔軟剤を、私の好きな花の香りにしているところがなかなか狡猾だ。おかげで文句を言う気も失せる。
 彼の胸に頬を埋めると、心臓の音が聞こえた。その音を聞いていると妙に心が安らいだ。子守唄のようなその音と、背をなでる優しい手つきに導かれて、私は眠りに落ちていった。



◆最高の枕

 毎日のように続いた同衾生活だが、ふとした時に中断した。ちょっとした用事のために、私がビジネスホテルに一人で泊まることになったのだ。

 ホテルの備品を壊したら弁償だぞとエイト君にさんざん脅されたので、私は戦々恐々としていた。
 目が覚めた時にはどんな大惨事になるやらと心配だったが、幸いにして、私は無事にベッドの上で目覚めた。その次の日も、お行儀よくベッドで布団をかぶっていた。どうやら悪い癖は治ったようだった。

 早速私は電話をかけた。朝早い時間だったが、スリーコールを待たずに彼は出た。

『どうした? 何かあった?』
「ああ、あったあった。今朝はベッドで目が覚めたんだ。おかげさまで、もう寝相はよくなったみたいだよ」

 そう言うと、焦ったようだった彼の声は、落ち着きを取り戻した。

『へえ。そう。よかったね』
「うん。だからね、ベッドを部屋に戻しておいてくれないかい?」
『ベッドを?』
「そう。私のベッド、君の部屋に運んでしまったじゃないか。あれをね、私の部屋に戻しておいてもらいたいんだ」
『なんで?』
「なんでって…………もともと私の寝相がよくないから、それを治すために一緒に眠ってくれていたんだろう?」
『うん…………まあ…………』

 はっきりしない答えだ。
 家に帰ると、彼の態度が妙だった原因がわかった。
 ベッドがまた変わっていたのだ。聞けば私の留守中に新調して、もともとあったシングルベッドは、二つとも処分してしまったらしい。私はもちろん文句を言った。

「でもねえ、開けちゃったからもう返品できないよ。それにこれ、結構いいんだぞ。ちょっと試しに寝てごらん」

 彼はベッドに腰を下ろして、促すようにマットレスを叩いた。--ずいぶん厚みがあって、やわらかそうだった。

 試しに寝っ転がってみた。寝心地はまるで雲のようだった。悔しいが、以前のより快適だ。しかもリネンは洗いたてらしく、石鹸の良い香りがした。
 べッドに沈んだ私の背中に、布団がかぶさった。ふんわりあたたかなダウンと極上のマットレスに挟まれてしまった。もう動けない。

 ……考えてみれば別に、私に損はないのだ。新しいベッドは大きくて寝心地がいいし、何なら前のベッドより快適だ。エイト君つきだが、彼と一緒だと、一人の時よりあたたかいし、頭をなでてくれる手は心地いいし…………よく眠れるし……。

 半ば陥落しかけていた私に、彼はとどめを刺しにきた。駄目押しに近づいてきたクロリスを、私は布団の中に引きずり込んだ。

「返品する?」
「しない……」

 その後、ベランダの封鎖が解かれた。

 彼の買ってきた物干しは雨の日用に格下げされ、部屋干し生活は終わった。だがある生活は、その後も続いた。

 マグカップを二つ手に、私はエイト君の部屋を訪ねた。ドアを開けると、彼は本を閉じて微笑んだ。

「ようこそ、僕の抱き枕殿」

 他愛のない話をしながらホットミルクを飲み干したあと、彼は落っこちる心配のない壁側に私を通す。そして広いベッドの隅っこで、私をぎゅっと抱きしめるのだ。

「やっぱり枕は、これでないとね……」

 私の枕も、もはや羊たちではなく、エイト君の胸や腕だった。この枕は実に高性能で、私が眠るまで、頭や背中を優しく撫でて入眠をサポートしてくれる。人肌のぬくもりと心地よい音楽でリラックス効果もばつぐんだ。近ごろでは目覚めのコーヒーを運んでくるようになった。あんまり具合が良いものだから、もうほかの枕では眠れそうにない。


【NEXT】


・これ「学校生活」じゃなくて「同居生活」だな?