「オーマイショコラ!」

◆バレンタインの朝

 二月十四日のことだった。レジ袋片手に帰宅すると、エイト君がリビングのソファに転がって本を読んでいた。ソファの脇でエプロンをつけると興味を持ったらしく、本を小脇に抱えて寄ってきた。まるで餌を求める猫のように、彼は私についてまわった。

「もしかして、手伝ってくれるのかい?」
「僕にできることなら」
「じゃ、これを刻んでおいてくれるかな」

 私は袋から板チョコを出して、彼に渡した。

「……タケもお菓子作るの?」
「そうだよ。人のやるのを見てると、どうもやりたくなってしまってねえ。フォンダンショコラでも作ろうかと思うんだ」

 板チョコが八枚と、バターと、それから生クリーム。ココアは昨日、お姉さんの使った余りがある。

「ふうん……。それにしてはずいぶん材料が多いようだけど、誰かにあげたりするのかい?」
「うん。虹谷君だろう。水野先輩だろう。あとは……あれ?」

 調理器具をカウンターに広げて、ふと振り返ってみると、エイト君の姿が消えていた。彼はいつの間にやらソファに戻っていた。

「エイト君?」
「ごはんじゃないなら、僕いらない」
「…………まあ、いいけどね」

 私はひとり、ショコラの製作にとりかかった。

 植物は話しかけてやるとよく育つというが、食べ物もきっとそうだ。チョコレートのとろとろにとろけたのをかき混ぜながら、私はささやいた。

「おいしくならなくちゃいけないよ。諸君は、あの美しい人の口に入るのだからね。一口で心をつかんでくるのだよ。そして私の恋の架け橋になるんだ。ふふふふふ…………」

 たっぷり愛を込めたガナッシュを、ねっとりとしたココア生地にちょこんと乗せ、オーブンに入れた。
 念を込めた甲斐あってか、焼き上がりの見栄えは上々だった。試しに味見をしてみると、中から熱々のショコラがとろり。悪くない出来だ。昼食がてらにもう一つつまもうとすると、電話が鳴った。
 エイト君は端から出る気がないらしく、ソファから動こうともしない。私は仕方なく廊下へ出て、リンリン鳴っている受話器を取った。

 ーー間違い電話だった。ついでに一箇所電話をかけて、私はキッチンに戻ってきた。時間にしてみれば二、三分少々のことだったが、私は確かにショコラから目を離していた。だが、だからといってその間に、すべてのショコラがきれいさっぱり消えているなど誰が想像できただろうか。
 確かにオーブンから下ろして、カウンターで冷ましていたはずだった。しかしその辺りにはショコラの影も形もない。私はキッチン周りやリビングダイニングを探しながら、エイト君に尋ねた。

「ねえ、君。私のショコラを知らないかい?」
「知るわけないだろ」

 ちょっぴりくぐもった声だった。おやと思って目を向けると、彼は顔をそむけた。なんだか怪しい。
 今日はママもパパも朝から仕事で、お姉さんは昨日何度か作り直したチョコレートケーキを引っ提げて彼氏とデートだ。末広も朝から出払っている。つまり家には私とエイト君の二人しかいない。
 私は犯人候補に近づいた。彼の顔を目にすると、私の疑惑は確信に変わった。

「君だね」
「何のことかな」

 エイト君はしらを切ろうとした。だがその唇の端には、確かに茶色い血痕が残っているのだ。

「君が食べたのだね。私が手塩にかけて育てたショコラを、君が平らげたのだね」
「濡れ衣だよ。何を根拠にそんなこと……」
「鏡を見てごらん」

 動かぬ証拠を目にすると、彼は観念した。というよりも、むしろ開き直ったという方が正しいかもしれない。エイト君はソファにふんぞり返った。

「誤解のないように言っておくが、僕は毒見をしただけだ」
「毒味で丸ごと平らげるやつがあるかね」
「甘さで味をごまかしてるかもしれないと思ってさ。だが危険物は混入されていなかった。君ならわさびくらい平気で入れてくると思ったんだが」
「虹谷君にあげると言っているのに、そんなもの入れるわけないだろう! 第一……八個はあったはずだ。まさか全部食べたわけじゃあるまいね」
「全部頂戴したよ。ロシアンルーレット方式で仕込んでいる可能性もあったからな。昼時にカップケーキなんて気が進まなかったが、治安のためだ。仕方がない」

 じつに減らない口だ。私は彼の頬を思いきり両側に引っ張った。

「この口が食べたのかい」
「食べたのかなあ……」
「食べたのだよ。お行儀の悪いこの口が、私のショコラを食べたのだよ。ごちそうさまぐらい言ったらどうかね?」
「ちょっと甘すぎると思うよ」
「ホー。人の作ったものを勝手に平らげておいて味にケチまでつけるかね。大した根性だ」

 頬をもちのごとくに伸ばしてやっても、犯人に反省の色は見えない。これ以上は時間の無駄と思い、私は断罪を諦めた。
 このふてぶてしいショコラ泥棒を責め立てたところで、食べられたショコラが戻ってくるわけではないのだ。私は彼を捨て置き、二度目の買い出しに出かけた。

◆バレンタインの昼

 スーパーへ行くと言うと、なぜかショコラ泥棒もついてきた。荷物を持つだけでなくその代金も持つというので、私は仕方なく同行を許可した。

「絶対さ、甘さ控えめの方がいいと思うんだよ」
「いいんだよ。虹谷君は甘いの大丈夫だから、あれでいいんだ」

 私は買い物かごの中にミルクチョコレートを入れた。それから生クリームも買い足さなくてはならない。エイト君がお菓子の棚を熱心に見ているので、私は単身、牛乳売り場に歩いていった。
売り場の端から端まで行って戻ってきたが、かご係はまだハートの飛び交うバレンタインコーナーに立っていた。いい子で待っていたのかと思いきや、かごの中のミルクチョコレートがブラックチョコレートに変わっていた。

「何勝手なことしてるんだい」
「一回これで作ってみたまえよ。騙されたと思ってさ」
「いやだよ」

 私は黒々としたかごの中身を取り出して、元のブラウンと入れ替えた。

「またさっきと同じやつ作るの?」
「うーん。どうしようかなあ」

 私の料理欲は先ほどのフォンダンショコラで半ば満たされてしまった。今度は別のものを作ってみたい気持ちもある。
 それに、さっきは作ることで頭がいっぱいで、ラッピングのことまで考えていなかった。チョコレート売り場を見て、はたと思い出したのだ。カップケーキのようなものをおしゃれに包めるアイテムなど我が家にはないと。だから包装用品も調達する必要があった。
 何を作るかもそうだし、どう包むかも問題だ。美しくラッピングされたチョコレートの山を、私は眺めた。華やかで、形もきれいなチョコレートの数々。きっと私の作ったのより美味しいだろう。ひょっとすると手作りより、こちらのほうが喜んでくれるかもしれない。いや、でも、心を込めて作ってくれたものは何でも嬉しいと、虹谷君は言っていた。と、そんなことを考えていると、ふとエイト君が、その棚から小さな箱を一つ、ひょいと取った。

「もうさ、こういうのでいいんじゃない? わざわざ作らなくたってさ」
「うん……それはちょっと、私も考えたよ。でも虹谷君は、銘店のチョコレートなんて飽きるほどもらっていそうだし……」
「これなら食べ慣れてないんじゃないかい?」

 エイト君はにこにこしながら、一目で義理とわかるチョコを差し出した。

「虹谷君、絶対喜ぶと思うよ」
「……目新しさはあるかもしれないけどね」

 私は一目で義理とわかるチョコを棚に戻した。

「でもねえ、やっぱりねえ。がんばって作ったのを食べてほしいんだよ。本命には」
「ごちそうさま。もうちょっと甘さ控えめなら言うことはなかったんだけどな」
「君に召し上がっていただくために作ったわけじゃないんだ。どうしても食べたいなら自分で作ったらどうだい……」

 店の時計をちらりと見る。もう午後二時になろうとしていた。
 私はエイト君を促して急いで買い物を済ませ、家に帰った。
 結局、トリュフを作ることにした。
 罪滅ぼしのつもりか、第二回の製作にはエイト君も協力的だった。慣れない手つきで包丁を使い、チョコレートを砕いてくれたおかげで思いのほか早く済んだ。日が暮れる前には十分な数のトリュフをこしらえることができた。

◆バレンタインの夕方

 形のいいトリュフを見つくろってラッピングバッグに入れ、リボンを結んだ。我ながら惚れ惚れするほどきれいな蝶ができたので、紫のリボンをかけたのは虹谷君のに決めた。虹谷君用は、他の袋と混ざらないようにちょっと離れたところに移した。そんなことをしていると、机に頬杖をついてじっとこちらを見ていたエイト君が、呆れたように言った。

「タケって女子より女子らしいよな」
「そうかい?」
「ああ」

 私はせっせとトリュフの袋を作り続けた。これに関してはエイト君は手伝うつもりはないらしい。

「一つは虹谷にくれてやるんだろ? あとの九個は?」
「ええと、私と、末広と、パパと、ママと、お姉ちゃんと、水野先輩と、リカちゃんと、愛ちゃんと、あと……昔からお世話になってる人」
「……僕のは?」
「君にはもうあげたじゃないか」
「もらってないよ」
「ああ、そうだね。君は勝手に食べたんだったね」

 エイト君は拗ねたように口を尖らすと、立ち上がり、冷蔵庫へ歩いていった。そして野菜室の奥の方を何やらごそごそ引っかき回して、タッパーを二つ引っ張り出した。彼はそれを私の方に差し出した。……非常に見覚えのあるものが四つずつちょこんと収まっていた。

「もうこの甘ったるいやつでいいから、包んでくれよ」
「全部食べたんじゃなかったのかい?」
「こんな重いのいっぺんに食べられるわけないだろ」

 言われてみれば確かにそうだ。綿菓子でグロッキーになるエイト君が七つも八つも食べるはずがない。だが開き直って偉そうにされるいわれはない。彼がショコラ泥棒であることに依然変わりはないのだ。

「全部食べないでいたのは偉かったけどねえ、でも、だったら、わざわざ作り直す必要はなかったんじゃないか」
「だがどのみち君は買い物には出なければならなかったはずだ。姉さんはチョコレートケーキをケーキボックスで丸ごと持って行ったし、母さんはスイーツなんて作る柄じゃない。つまりカップケーキを包装できるようなものなんてうちには常備してないわけだよ。ラップに包んで渡すつもりだったって言うなら話は別だが、おしゃれさんの君がそんなことはしやしないだろう。だからどっちみち君は包装用品を買いに出かけたはずだよ。だいたい、午前中にこんな甘いのを作っておいて、午後にまた甘いのを作るなんて暴挙だよ。そこはバランスを取ってビターで作ってくれたっていいじゃないか」
「いつどんな風に何を作るかは私の勝手だ。……ともかく、もう君にはあげないよ」

 私はトリュフに伸びてくる手をぴしゃんと叩いた。リビングの扉が開いたのはちょうどその時だ。私は帰ってきた家族に声をかけた。

「おかえり、末広」
「ただいま……」

 末の弟はダウンジャケットをソファにほっぽり出し、ダイニングテーブルに落ち着いた。そうかと思うと、うなだれて、ため息までこぼした。なんだか気落ちしているようだった。どうしたのかと私が聞く前に、末広は言った。

「やべーよ。一日中歩き回ったのに、チョコ一個ももらえなかった」
「朝から姿が見えないと思ったら、そんなことしてたのかい……」
「お前らの格好してもだめだった。女子へのアピール全然足りてないぜ。お前ら今月何やってたんだよ」

 彼はポケットから青と黄色の丸めがねを出してテーブルに置いた。エイト君は黄色い丸めがねをクイと指で上げ、皮肉っぽい笑みを浮かべた。

「あいにくだがね。そういう浅ましいことをするような奴と、この僕とを見間違えるような間抜けは、僕のファンにはいないのだ」
「私のファンにもいないんだ。でも、かわいそうだからおやつをあげよう」
「やったぜ。サンキュー」

 私はタッパーからフォンダンショコラを一つ出して末広に渡した。フォンダンショコラをあっという間に胃袋に収めてしまった食べ盛りに、袋詰めしたトリュフも渡した。次なる獲物も早々に仕留めようと、彼は赤いリボンに手をかけた。

「ちょっと待った、末広」
「なんだよ詠人。やらねーぞ」
「そうじゃない。せっかくのバレンタインなんだぞ。もっと風情を味わいたまえよ。あいにく君に手作りチョコレートを恵んでくれるのは身内の男だけのようだが、幸いなことに女子より女子らしいやつだ。これを女子カウントにしておかない手はないぜ」
「……確かにな。女子から告白の一つも受けねえと、2月15日迎えられねえな。武彦、お前ちょっと俺に告れよ。女子っぽい感じで」

 わけのわからない理屈で、いったん渡した袋がまた私の手に戻ってきた。

「どうして私がそんなことしなきゃならないんだい」
「だってタケがチョコ渡したいっていうから僕らは仕方なく付き合ってやってるんじゃないか。なあ?」
「そうそう」
「別に渡したいなんて一言も言っていないんだけどねえ」
「話って……なに?」

 末の弟は気取ったような顔をして、すでに役に入っているようだった。この快楽主義者どもめ。別にわざわざ付き合ってやる義理もないのだが、私は義理チョコ一つもらえなかった哀れな男のために、茶番を演じてやることにした。

「ええと……今日ってバレンタインじゃないか。だからその、トリュフをだね。作ってみたんだけど」
「おい、大根役者」

 エイト君が茶々を入れた。

「まったくもう。なんなんだい」
「ちょっとは考えたまえよ。いいかタケ、告白だぞ。好きな人に渡すんだぞ。チョコレート作ってみたじゃないだろう。大好きな彼に、本当に食べて欲しいのはチョコレートか?」
「チョコレートだよ」

 エイト君はため息をつき、今度は末広の方を向いた。

「末広。目の前に君の好きな子がいるとする。その子が手作りのチョコレートを持っているとする。この時、君が本当に食べたいのはその子か? チョコレートか?」
「表向きは、チョコレートだわ」
「だがしかし、腹の底では?」
「チョコが! 欲しい! 腹減った!」
「よろしいわかった僕の負けだ」

 なんだかよくわからないが、うるさい男は勝手に自滅したようだ。私は改めて末の弟にプレゼントを差し出した。

「ほら、末広君。手作りだよ」
「サンキュー武彦。……あ、こっちもうめえわ」

 やっぱ手作り最高だな。末広はそう言って、満面の笑みを浮かべた。つられて私の頬もゆるんだ。末広は早くもトリュフの二つ目に手を伸ばした。が、口に入れようとして、ふと、ためらった。

「チョコレートって、そんなすぐすぐ傷まねえよな?」
「うーん。でも、手作りだからどうかな」
「ふーん……まあいいや。ゆっくり食おっと。ありがとな、武彦」

 口笛交じりに末の弟はリビングを出て、おそらくは自分の部屋に上がっていった。あれだけ素直に喜んでくれるとかわいげがある。ーー尊大な態度で手を差し出してくるもう一人の弟にも、あれくらい愛嬌があれば良いのだが。



「君にはあげないよ」
「なんで?」
「自分の胸に手をあてて考えてみたまえ」

 エイト君は自分の胸に手を当て、目を閉じた。

「僕の鼓動は主張している。ーーこの心臓の主人は、清廉潔白だと」
「よくもそんなことがいえたものだな」

 フォンダンショコラだけでは飽き足らず、トリュフまでせしめようとは図々しい。第一チョコレートなんて別段好きでもないくせに。

「そんなにチョコレートが欲しいんだったら、さっき自分で買っておいたらよかったじゃないか」
「手作りがいい」

 そう言ってエイト君はダイニングテーブルに伸びた。右手が抜け目なく袋の方へ這ってきたので、私はいとしのトリュフたちをさっと自分の方に引き寄せた。手はしばらくテーブルの上を徘徊したが、やがて諦めたように動かなくなった。
 机に突っ伏したまま、エイト君が呟いた。

「二回目、お金だしたのぼくだぞ」
「君が勝手に私のショコラを食べるからだ」
「食べてないのは返したじゃないか」
「買い出しに行く前に返していただきたかったものだね」
「…………だってぼく、兄さんの手作り食べたかった」

 蚊の鳴くような声で、エイト君はそう言った。
 そういえば彼は、私が台所でごそごそしていると、決まって寄ってくる。おこぼれを与えると満足してソファに落ち着くので、そういうことをするのは、てっきり小腹が空いているせいだと思っていた。だが思い起こせばエイト君は、ママが台所に立っている時にはそういうことはしない。つまみ食いをやるのは、むしろ末広の方だ。

 テーブルの上には、あと九つプレゼントがある。パパと、ママと、お姉ちゃんと、虹谷君と、水野先輩と、成上君と、リカちゃんと愛ちゃんと、それから私の分だ。まあ、私の分は今度でもいいか。私は青いリボンをかけた袋を、エイト君の頭の上にのせた。彼の手がのそのそと動いて、袋に触れた。数秒ほど停止したあと、エイト君はがばっと起きあがった。

「いいの?」
「下の弟にあげて上の弟にあげないのも不公平だからね。仕方ないから差し上げるよ」

 そう言うと彼の顔つきは目に見えて晴れやかになった。ーーいつもこれくらい素直だったら、かわいいのだが。

 さて、そんなことをしていると、もう五時になりそうだ。私は立ち上がった。隣近所の女の子たちにも、遅くなる前に配りに行きたい。うまくすればおこぼれをいただけるかもしれない。桃色のリボンを結んだのを二つ拾って、リビングを出ようとすると「ねえねえ待って」とエイト君が肩を叩いた。

「何だい」
「せっかくだから、僕にも、好きな子に告白するみたいに渡してよ」

 実に面倒くさい男だ。休日とはいえ、彼にチョコレートを届けてくれる子がいないのも頷ける。それでも茶番に付き合ってやる私のなんと心広いことか。心優しい私は戻ってきたプレゼントを、やかましい弟に差し出した。

「エイト君。これ私の気持ちだ」
「わーい。ありがとう」

 伸びてきた両手に乗せる前に、私はひょいとトリュフを取り上げた。ーーこれくらいの意趣返しは、許されてしかるべきだろう。

「だけどエイト君は、午前中にフォンダンショコラを、誰かさんからもらっただろう? それはあいにく、甘ったるくてお口に合わなかったようだけど、このトリュフも、残念ながら甘いんだよ。甘すぎておいしくない私のチョコなんて、いらないんじゃないのかい?」
「……甘くたって、君の作ったのはおいしいよ。甘さ控えめな方が、もっとおいしいってだけで」
「ふうん……」

 憎まれ口でも飛んでくるかと思えば、存外に殊勝だ。まあ、美味いというのなら仕方がない。

「じゃあ、はい」
「どうもありがとう」

 彼はにこにこしながら、改めてプレゼントを受け取った。

「本命?」
「もちろん義理だよ」
「そっかーざんねん。本命だったら来月8倍にしてお返ししようと思ったのに」
「……恥ずかしくて言えなかったけど、実はそれが本命チョコなんだ」
「現金なやつだな」

 エイト君は苦笑した。

「でもさ、これって、末広と中身同じなんだよね」
「ん? うん、そうだね」
「他の奴と同じものよこしといて、本命ですっていうのはちょっとおこがましいよ。本当に僕が本命だっていうなら、態度で示してほしいなあ」

 何やらまた面倒臭いことを言い出した。やはり渡すべきではなかったのかもしれない。

「ちなみにお返しって、何をくれる予定なんだい?」
「そうだなあ。蛙鳴屋(あめいや)のプリンか、SugarySugarのハニーケーキか……」

 私はエイト君の両手をそっと包み込み、上目遣いに彼を見た。

「なんだい、それ」
プリンのおねだり(本命にしかしないあくしゅ)
「はは。握手じゃだめだめ。マイムマイムやオクラホマミクサーで大盤振る舞いするようなものは本命へのアプローチとは認められないよ」

 となると、こうだ。私はエイト君の背中に腕を回した。

「おっと。今度はなんだい」
ケーキのおねだり(本命にしかしないハグ
「おい。なんでもかんでも本命と言えば通ると思うなよ」

 だが彼の顔つきはほとんどとろけている。あと一押しだ。来月のプリンを思えばスキンシップなど安いものだ。あと本命にすること、と言ったらキスだろうか。いや、でもさすがにそれはな、とためらっていると、チャイムの音がした。

 時計を見ると、約束の時間だった。エイト君と遊んでいる場合ではない。私は彼を押しのけて、急いで玄関へ向かった。

 果たして、ドアの向こうに立っていたのは虹谷君だった。

「やあ、武彦くん。いいものをくれるって?」
「うん。ちょっと待っててくれよ」

 私は紫色のリボンをかけた袋を手に、玄関に戻った。

「虹谷君。これ、よかったら……」
「手作り?」
「うん。上手にできているかどうか、わからないけど……」

 私は袖に手を引っ込めて、ちらっと虹谷君の顔色をうかがった。彼は穏やかに微笑んでいた。

「きっと美味しいんだろうね。食べるのが楽しみだ」

 彼がそう言ってくれたおかげで、私の今日一日の苦労はすべて報われた。
 ふと虹谷君は、私の方に目を向けた。でも視線が合わない。どうやら奥の方を見ているようだ。私は振り返った。リビングのドアを背に、エイト君が難しい顔で立っていた。

「ちなみに詠人は作ったりしてないの?」
「僕はお菓子なんか作りやしないさ。もらうの専門だからね。ああ、でも、タケのそれを作るのは少し手伝った。君だと思って徹底的にチョコを切り刻んだよ」
「へえ。となると共同製作だね」

 心なしか虹谷君の笑みが深まったように見えた。

「用が済んだら早く帰れよ、優男」
「もらうものはもらったから退散するよ。じゃあまたね、武彦くん。……あ、そうだ。これ」

 虹谷君は背中から薔薇の花束を出した。
 ロマンチックなサプライズにぽーっとしていると、虹谷君が微笑んだ。

「お母さんによろしくね」
「あ……うん。伝えておくよ」

 車のエンジン音が遠ざかると、私は家に入った。なんだかふわふわした気分だった。

「あんなキザ野郎の花なんか庭にうっちゃっておきたまえ」
「花は花だよ。……飾っておこう。きっとママ、びっくりするよ」

 玄関先に薔薇を飾り、芳香を思うさま堪能したあと、私はリビングへ戻った。

 エイト君はダイニングテーブルで、何やら頬張っていた。テーブルの上には、さっき彼に渡したトリュフの袋があった。
 私が食べるつもりでいた分を渡してしまったので、私のトリュフはなくなってしまった。残っているのは、包み損ねたフォンダンショコラだけだ。私はそれに噛みついた。冷めていたけれど、悪くはなかった。

「あのさあ、タケ」
「なんだい」
「やっぱり、もっと甘さ控えめの方が、僕は好きだな」
「知らないよ。もともと君のために作ったわけじゃないんだ」
「じゃあ来年は、僕のために作ってよ」
「なんだって私がーー」

 文句を言おうと開いた口に、何か押し込まれた。ちょっぴり硬いそれは、口中の熱で瞬く間にとろけて、甘いミルクチョコレートになった。
 彼は私の髪をくしゃくしゃにして、にっこりと微笑んだ。

「コーヒーに合うようなほろ苦いやつを、僕のためだけにね。……ごちそうさま」


【END】



・公立小中高
1992/9/12〜 第2土曜日休み
1995/4/22〜 第4土曜日も休み
2002/4/6〜  毎週土曜日は休み

 桃園さんたちの学校は私立+現実のカレンダーと暦ずれてても差し支えはないんだけど調べてしまったので一応

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